真顔日記

上田啓太のブログ

映画『犬鳴村』

映画『犬鳴村』をみた。序盤から怪異の大盤ぶるまいで面白かった。惜しみなく幽霊が登場する。カメラを振ることが幽霊登場の合図だ。しかし印象に残ったのは意外と幽霊そのものではなく、不良少年たちが電話ボックスの中で溺死する場面や、発狂した女がわらべうたを口ずさみながらジョボジョボと放尿して歩き去ってゆく場面。

映画の後半、主人公が車に乗って旧犬鳴トンネルから逃げ出すのだが、序盤に死んだ者たちが霊となって後を追いかけてくる。バックミラーに映っていた死人たちは、画面が切り替わるとすでに車内に入り込んでいて、助手席と後部座席から主人公を見つめている。この場面は笑ってしまった。一人一席として、律儀に座っていたからか。こうなってくると、助手席の幽霊がシートベルトをしているかが気になりはじめる。

実際に見えてしまった幽霊が、どことなくアホらしさを漂わせてしまうのは興味深い。見えないのに存在していることが幽霊の本質だからか。手持ちカメラのぶれた映像に映り込む幽霊は怖いのだけど、固定されたカメラの向こうにきっちり映りこんだ時、なんだかアホらしく見えてくる。しかし、二時間のホラー映画で一度も幽霊が見えなければ、それはそれで不満を持ちそうだし、観客としての自分はわがままだな。

私的には、見えることより聴こえることのほうが怖いな。狂気は耳から来る。

映画が終わると深夜だった。ホラー映画をみたあとは、しばらく少しの物音にも怯える。床のきしむ音、外のしげみのゆれる音。なんだかんだで、しっかりと恐怖を植え付けられている。感覚過敏というよりは、小さな音に対する意味づけ作用が強くなっているようだ。ささいな音は日常でも常に聴こえているのだが、普段はそれに意味づけすることなく、無視していることも知らないままに無視している。