真顔日記

上田啓太のブログ

aikoは世間が思うほど前髪を切りすぎていない

それは遠い昔、私がまだaikoを熱心に聴いておらず、ヒットチャートをにぎわす有象無象の一人だと思い込んでいた頃、私はaikoに対して、「いつも前髪を切りすぎている女」というイメージを抱いていた。

なんとなく存在を耳にしただけの状態でも、人は有名人にボンヤリとしたイメージを抱くもので、aikoの場合、それが「いつも前髪を切りすぎている女」だった。

「aiko? 『カブトムシ』とか『花火』の人でしょう? あんまよく知らないけど、なんかあの人、いつも前髪切りすぎてない?」

しかし、熱心に聴くようになって気付いたのだが、aikoが実際に前髪を切りすぎているのは『シャッター』の一曲だけだった。

切りすぎた前髪
右手で押さえて 少し背を向けた
嫌われたくないから
『シャッター』

これはシングル曲でもないし、当時の自分が耳にしているはずはないから、何がどうなって、前髪を切りすぎているイメージが自分の中に構築されたのか分からない。人が言っているのを小耳にはさんだのか。あるいはaikoの見た目から勝手にイメージを作り上げていたのか。こういう見た目の女子は、たいてい自分で前髪を切ろうとして失敗するもんだ、というふうに。

そのへんは謎であるが、とりあえずこの世には具体的な現実世界と別に、イメージの世界が存在していることは事実だ。そこではaikoが常に前髪を切りすぎており、村上春樹が常にパスタをゆで続けており、ビートたけしが永遠にダンカンを叱り続けている。

なにかに対して真剣になることは、こうした世間的イメージの壁を突き破り、表現者とのあいだに個と個の関係を構築することなのだろう。

aikoにおける前髪の扱い

あらためてaikoの膨大な楽曲群の歌詞を見てみると、「前髪」という言葉自体、それほど登場していない。これは意外だった。ざっと見たところ、『シャッター』と『二人の形』と『ふれていたい』の三曲だけだ。イメージよりもずいぶん少ない。もっと大量に前髪に言及していると思っていた。

ああ、しかし、『ふれていたい』における前髪の扱いは、すさまじくaikoだな。

前髪が少し伸びたの
気付かなくてもいい
さりげなく手で払った額に
キスが欲しい
『ふれていたい』

「気付かなくてもいい」という譲歩から、流れるように別の強烈な欲求が出てきた時、あまりにもaikoだと感じる。このaikoは過剰にaikoだ。たんに何かを要求してもaikoにはならない。要求を妥協して譲歩して、しかし結果的に当初の要求を大幅に上回る別の要求(さりげなく手で払った額にキスが欲しい)が飛び出してきた時、私はそこに、aikoを見つける。

繊細な乙女心とか気軽に言うな

『ふれていたい』の「気付かなくてもいい」から連想したが、aikoには『気付かれないように』という曲もあり、気付かなくてもいいとか、気付かれないようにとか、aikoの歌詞世界に登場する極まり切った心理戦には毎度驚かされるばかりだ。

それは恋愛をテーマにした賭博黙示録カイジであり、気付いている、気付かれている、見ている、見られている、「あたし」の視線は感情をともない限りなく精緻になっていき、「あなた」の内面を先読みする能力もまた、天井知らずで極まってゆく。

目を見るのも今はすごく恥ずかしい
見ないで…
全部ばれてしまうから
『ココア』

「目は口ほどに物を言う」という古いことわざを持ち出すまでもなく、人の目には感情が宿るのであり、aikoの瞳にはすでに「あなた」への想いが宿っている。たとえ口を閉じようが、視線を通して自分の好意は意図せず伝わってしまうのであり、そのことを先回りして予測するから、aikoは「見ないで」と恥ずかしがっている。

それをとりあえずは「繊細な乙女心」と呼んでみたくなるのだが、しかしこれが『二人』の歌詞になると、

見つめられれば恥ずかしいけど
目を反らしたら気付かれそうだから
同じ様にあなたを見た
吸い込まれそうな瞬間
『二人』

目を合わせることを恥ずかしがっていたaikoが、今度は目を反らすことで自分の好意が気付かれる可能性に怯えているのであり、ますます先読みは細かくなっているのであり、安易に「繊細な乙女心」などと言ってしまった自分は、さらに繊細になったaikoの心理に名付ける言葉を持たず、オロオロするばかりだ。

目を見られれば気付かれる、目を合わせた後でそれを反らしても気付かれる、だから目を反らさずに「あなた」を見る。こうして、ほとんど将棋の名人戦であるかのように、aikoは先の先の先を読み続けてゆくのだが、しかし人間の視線は感情の乗り物であるがゆえに、どれだけ先読みを続けようが、好意を隠そうとするaikoの努力はむなしく敗北することになる。

それでは、幸福はどこにあるのか?

『ハチミツ』の幸福

それは、もはや自分の好意を隠す必要がなくなった瞬間におとずれる。視線に込められた自分の感情を隠す必要がなく、目が合った時に反らす必要もなく、ただ素直に見つめ合い、そこに自然な愛情の交流が起こる時、それこそが「幸福」なのである。

『ハチミツ』の歌詞を見よう。

気づかれた 見つめてたコト
あったかい部屋の中で あたし驚いたのは
そんな素敵な顔をするから
『ハチミツ』

気付かなくてもいい、気付かれないように、目を反らしたら気付かれる、見て、見ないで、全部ばれてしまう……、こうした無数の先読みが消失するのは、『ハチミツ』に描かれるような瞬間なのであり、ここで二人はすでに「あったかい部屋の中」にいる。いまや「あたし」と「あなた」は信頼関係に包まれており、「あなた」を見つめていることに気付かれても、「あたし」はパニックになって、心の内を先読みする必要がない。「あなた」は「あったかい部屋の中」で、「そんな素敵な顔」をしているからだ。

最後に

最後に、切りすぎた前髪のことを思い出して文章を終えよう。

切りすぎた前髪
右手で押さえて 少し背を向けた
嫌われたくないから
『シャッター』

今では分かる。前髪を切りすぎることが即座にaikoなのではなかった。そんなことは新人美容師だって日常的にしていることだった。

むしろ、aikoの真髄はそれに続く二行にあった。すなわち、aikoとは日常のさりげない仕草の細やかな描写であるがゆえに、切りすぎた前髪を右手で押さえる運動こそがaikoであり、少し背を向ける運動こそがaikoだった。

そして、何よりもaikoとは心の所作であるゆえに、「嫌われたくないから」こそがaikoだった。前髪を切りすぎたという端的な事実がaikoなのではなく、そこから連鎖的に生まれる、運動と不安こそがaikoだった。前髪など、いくらでも切りすぎればいい。そこにaikoはいないのだから。

これが現在、私のイメージするaikoである。

私は、aikoのことをもっと知りたいと思っている。