真顔日記

上田啓太のブログ

タピオカの前世は人間

日曜の午後三時、プラスチックカップの底に沈むタピオカを見つめていた。ルミネのカフェの丸テーブル。すでに三度目の来店だった。

私はタピオカの流行と距離を置こうとして、しかし結局、挫折した。冷めた目でやりすごすには、タピオカはもちもちしすぎていた。ストローで吸いこむ瞬間が、たまらない。透明なストローの内側に、タピオカが詰まって並んでいる。ストローの中で行列を作り、吸い込まれることを待っている。私はこの状態を、タピオカ待機と呼んでいる。

宇宙から見れば、人類もタピオカも似たような粒。しかし今の私は人間としての形状を持ち、タピオカはタピオカとしての存在を生きている。タピオカの群れも前世では人としての自我を持ち、人としての苦しみを生きた時代があったのだろう。あらゆるタピオカの前世は人間なのだ。

僕も来世は、透明なタピオカに生まれたい。

だが、そうしてタピオカへの転生を願うおまえは、トイレを汚した罰として、消臭剤に生まれ変わることになる。トイレに置かれた消臭剤の一粒一粒が、前世でトイレを汚した人間なのだ。

ある者は尿を放置した。ある者は一歩前の貼り紙を無視した。いまや彼等は透明な粒となり、小さなプラスチックケースに収容されている。トイレの悪臭を吸い込み、少しずつ萎びてゆくだけの生涯は悲しい。しかし人類の大半は、消臭剤としての来世を送ることになるだろう。

タピオカに生まれ変わるには、本当に心を透明にして、人生を終えなければならない。釈迦は今頃タピオカとなり、ミルクティーという安寧の底に、深く沈んでいることだろう。

人類が徐々にエゴをなくし、完全な球体となった時、ストローを通過するタピオカのように、透明なチューブの中を移動するようになるだろう。タピオカは予言の書だ。現代の予言は書物の形を取ることがなく、街の流行の中にその身を隠している。タピオカのありように未来を読むのだ。タピオカブームは人類進化の序章にすぎない。未来の歴史家は語るだろう。あの年、突発的に起きたタピオカの狂騒こそが、巨大な潮流の始まりだったのだ。

あんたたちはタピオカが飲みたいんじゃない。タピオカになりたいんだ。

人生に妥協をするな。

真夏の時を生きる屈強な男たちは、日焼けした肌に白い歯を見せて笑い、農作業に精を出していた。朝日とともに小屋を出て、日が落ちるまで畑を耕す日々。それが彼等のすべてであった。今では真夏の空の下、トウモロコシの一粒一粒に生まれ変わっている。