真顔日記

上田啓太のブログ

aikoとネタバレ

『ハンターハンター』をはじめて読む人と話す機会があった。私のほうは何度も読み返している漫画である。展開から何から熟知している。しかし向こうはまだ何も知らない。完全な初読として楽しんでいるようだ。

こうした場合、ネタバレの誘惑と戦うことになる。自分の中には、この漫画への熱い思いがある。それを制御して、ネタバレに配慮しながら会話することは難しい。先の展開を言いたい。この人がまだ読んでいない部分のことだって気にせずに話してしまいたい。しかし私もいい大人である。ネタバレの誘惑に耐えるのが大人の証明だ。深呼吸して落ち着いて、「どのへんまで読んだ?」とたずねる。

「今ちょうど、アリの化け物が出てきたあたりで……」

キメラアント編である。私の一番好きなシリーズだ。その事実が私の心を決壊させた。反射的に言ってしまった。

「キメラアント編の結末が、完全にaikoなんですよ!」

すぐさま自己嫌悪に陥った。完全に物語を読む楽しみを阻害してしまった、こんなことさえ我慢できないのか、俺はなんてひどいやつなんだ、と思ったのだが、相手の反応は、「はあ?」だった。

その後、実際にキメラアント編を最後まで読んだ時に改めて言われた。

「あれって結局、どこらへんがaikoだったんですか?」

あぜんとした。気づかいが空回りしている。読破する前にaikoの四文字を出すことはタブーだと思っていた。しかし、キメラアント編を最後まで読み終えた後だろうが、aikoの四文字はネタバレになっていないのか。もしかして世間の人々は、aikoの四文字を一人のミュージシャンを指す記号にすぎないと思っているのか。恋愛という巨大な謎に最終解答を与える四文字として、aikoを認識していないのか。

認識していない。

どうも、そうらしい。

頭の中で成長した「aiko」の意味が大きくなりすぎて、他人とのコミュニケーションが成立しなくなっている。もはや私の脳内国語辞典におけるaikoは大量のページを占めており、辞書全体のバランスを崩しているほどだ。辞書を横から見ると、ア行が異常に分厚い。aikoは同義語を持ち、対義語を持ち、類語を持ち、用例を持ち、私の言語世界においてaikoという大樹から枝分かれした無数の言葉たちがあり、それが全体として、豊かな森を形作っている。

だからこそ私は、『ハンターハンター』のキメラアント編を読み返すたび、そこに易々とaikoを見出すことができる。キメラアント編の結末がaikoではないと言うならば、大森林は激しく燃え上がり、むざんな焼け野原と化すことだろう。

aikoの四文字に凝縮された意味をここに改めて書くことはしないが、基本的に私は、二つの孤独な魂が出会う系統の話をすべてaikoだと感じている。もはや男だとか女だとかは関係がなく、それどころか人間種である必要すらなく、実際、キメラアント編でaiko化するのは怪物の王と盲目の少女である。キメラアント編の結末は、aikoの四文字で済む。先週のあらすじ:aiko。これで、次週のジャンプをスムーズに始められる。

しかし多くの人々にとって、aikoとは一人の女性ミュージシャンを指し示す記号にすぎない。認識のバランスを取らねばならない。しぶとく自分に言い聞かせなければならない。他人と言語世界を共有するために。言語の孤島を生きないために。これからもみんなと生きていくために。

そういえば、これも盛大なネタバレになってしまうんですけど、『進撃の巨人』30巻収録の122話が完全にaikoでしたよ。是非。