真顔日記

上田啓太のブログ

赤字が消えて街に詩が生まれる

街の看板を見ていると気付くことだが、黒字と赤字だと赤字のほうが先に消えるようだ。これは看板における宿命なのか。風雨にさらされて、黒字よりもずっと早く消滅してしまう。

だから日本の街には、赤字だけが消えた看板があふれている。そのようにして、街に詩が生まれる。それは人類と雨風の合作である。

うちの近所にある家の玄関に、「猛犬に注意」と書かれた掲示がある。しかし時の経過によって、赤字の「注意」だけが消えている。その結果、掲示には次のように書かれている。

猛犬に

猛犬に、何かを捧げている。母に、娘に、恋人に。書物の冒頭によくある献辞であり、これまでさまざまな書物がさまざまな人間に捧げられてきたが、猛犬に捧げられた書物は見たことがない。

本屋で適当な本を手に取って、冒頭に「猛犬に」とだけ書かれていれば、がぜん興味が湧いてくる。絶対に購入せねばならない。この世のどこかに猛犬に捧げられた分厚い書物があると思えば、明日を生きる活力が湧いてくるというものだ。

その近くの古い平屋には、玄関ドアの横に小さな掲示がある。おそらく「引いてください」と書かれていたのだろうが、「引」を赤字にしたばかりに、やはり文字が消えている。結果、掲示には次のように書かれている。

いてください

切実だ。これは、心が壊れる瀬戸際まで来ている人間の言葉だ。しがみついているのだ。ほとんど握力を失なった指が、それでもだれかの衣服をつかもうと、切ない叫びをあげているのだ。街でふと見かけるには、強すぎる言葉だ。

家を出て、コンビニに向かう時、私は「猛犬に」の前を通り過ぎ、「いてください」を右折して、セブンイレブンに入っていく。そして、クリームパンを買って出てきたりするのだが、路上で見かけた切実な言葉を無視して、甘いクリームパンを買うおまえに人の心はあるのか。

明日は、「いてください」の前に、いようと思う。「いてください」と言っているんだから、誰かがいてあげなくてはならない。しかし誰も立っていない。あの家のあの扉の前に、誰かが立っているのを見たことがない。非人情の街だ。私は、いてくださいと言われたら、いるよ。ただ、いるだけでいいのなら、私はいる。

以上の文章を、猛犬に捧げる。今日だけは噛みつかずに読んでほしい。