真顔日記

上田啓太のブログ

女子大生の聴くaikoに負けた

先日、この日記を読んでいる十九歳の女子大生と話す機会があった。当然のようにaikoの話になったんだが、彼氏とうまくいってない時によくaikoを聴いていたと言われて、勝てないと思った。なんというか、勝てない。リアルさにおいて勝てない。aikoとの関係性において、私は圧倒的に敗北していた。この日記でどれだけ「俺はaikoだ」とわめいたところで空しいだけだ。

あの女子大生は呼吸するかのような自然さでaikoになっていた。一挙手一投足が、そのままaikoとなる。女の人生には、そんなひとときがあるものだ。しかし私は人の家の物置に住みついて、真夏に汗だくになりながらパンツ一丁でaikoを聴いていた。毛むくじゃらの脚がむきだしになっていた。そんな状態で、「俺はaikoだ、俺はaikoだ」とうわごとのように繰返していた。

こんなものは、頭のおかしくなった妖怪じゃないのか。

妖怪aikoすすり。人の家の物置に住み着いて、ひねもすaikoをすする。とくに実害はないが、ちょくちょく感極まって号泣するので、とにかくうるさい。

私はaikoではあるのだが、そうして見つけた真実が社会の審判にかけられた時、冗談として解釈されてしまう。これが問題だった。わけのわからないコンプレックスな気もするが、とにかく女子大生のエピソードの強度にやられてしまった。彼氏とうまくいってない時にaikoを聴くのか。そういう聴き方をしたことがなかった。彼氏とうまくいってない時に聴くaikoはどんな聴こえかたをするんだろう。まったく想像がつかない。だいたい私は、彼女とうまくいってない状況でaikoを聴いたことすらないのだ。

ビーチフラッグスに例えるならば、私は必死でaikoという旗を奪おうとして、砂浜の上を走り回っては飛び込んで、もんどりうって、それでもいっこうに旗を取ることができない。しかし女子大生の頭頂からはaikoと書かれた旗が当たり前のように生えていて、旗を探す必要すらなく白いベンチに寝そべると、ストローでトロピカルジュースを飲んでいる。負けた。かんぷなきまでに負けた。あんたがaikoだ。あんたこそがaikoなんだ。

もちろん、aikoは万人に開かれていると正論を述べることはできる。作品は受け手を選別しない。そうした思考法は現代のトレンドでもある。しかし十九歳の女子大生が彼氏とうまくいっていない時に聴くaikoは本当にaikoとして光り輝いている印象があって、そこでのaikoはaikoにふさわしい場所に落ち着いているように思える。

私の聴くaikoは、どこかちぐはぐではないのか。

その子は『Do you think about me?』を熱心に聴いていたという。

いつもいつも傍にいてとは
言わないじゃない
毎日愛してるって言って
欲しい訳じゃない
ただただ二人恋に堕ちた
はじめの時
その気持ち忘れて欲しくないだけ

こうした歌詞が、そのまま日常と地続きになる。aikoと自己の完全に一致した生活を送ることができる。aikoと自己の合一。aikoと自己の主客未分状態への溶解。なんてふうに堅苦しい熟語がどんどん出てくるし、ますますaikoからは遠ざかる。

その子は「わたしはaikoだ」と主張してはいなかった。「わたしもaiko聴くんですよー」としか言っていなかった。そのさらりとした口ぶりに敗北感を覚えた。さらりと言いたい。「俺じつはaikoなんですよ」というふうに、いたずらっぽく舌を出して、あいさつがわりに告白したい。しかし自分が自分をaikoとして定義する時、そこにあるのは強烈な鼻息であり、見開かれた目ン玉であり、身を乗り出して顔面ごと相手に押し付けるような後戻りのできぬテンションだ。

「俺はaikoだ!」

「わたしもaiko聴くんですよー」

勢いでは私が勝っている。ゆえに私が負けている。知っている。人が本当にaikoになった時、それはフラットな形で表現されることを。その究極は無言だ。自分がaikoであることを意識せず、静かな部屋のベッドに身体をうずめる午前二時、ヘッドホンから流れるaikoの音楽に耳を委ねながら、最近すこしだけ冷たくなった恋人のことを考えている。それが呼吸するようにaikoになることだ。十九歳の女子大生が何の努力もなく到達した境地にこれだけジタバタもがいたあげくいっこうに辿り着けないならば、俺はだれだ? 何のために、何の目的で生まれてきた?

もう、aikoになろうとするな。

aikoを聴くようになって気付いたのは、自分はこのように誰かを想ったことが一度もないということだった。私は自分の現状に重ねるようにはaikoを聴かなかった。自分の過去の恋愛に重ねることさえしなかった。その意味で、私にとってaikoは自分の気持ちの代弁者ではなかった。むしろ私にとって、aikoは予言者として存在していた。私は自分の中にaikoに反応する感情が眠っていたことを知った。しかしそれは具体的な誰にも向けられていなかった。

私のaikoには現実がない。私の聴くaikoは実際の人間関係と結びつくことなく、現実という大地に着地しないまま、観念として、死ぬまで浮遊している。俺だって、aikoの似合う形に生まれてきたかったよ。