真顔日記

上田啓太のブログ

ゴリラの定食屋

商店街を歩いていた。アーケードの終わる場所に小さな定食屋を発見した。看板に「こだわり定食」と書かれていた。具体性のなさに興味をひかれた。コロッケなのか、ハンバーグなのか、エビフライなのか? こだわり定食とだけ言われても、まったく内容が分からないだろうが。入店決定。

店員はゴリラだった。茶色の硬そうな毛に、ピンク色のエプロンを付けていた。私の入店を確認すると、ゴリラは激しく自分の胸を叩きはじめた。私は顔をしかめた。ゴリラがあまりにゴリラらしいパフォーマンスをしたからだ。

ゴリラは私の気分を害したことに気付かないようだった。ドラミングを終えると、胸の毛を太い指先で何度か撫でて、「いらっしゃいませ」と言った。

「日本語を使用してもよろしいでしょうか? 確認が後になってしまい申し訳ないのですが」

「どちらでもいい」と私は言った。

「助かります。ゴリラのウホウホを期待して来店されるお客様もおられますので」

店内を見渡した。客の少数が人類だった。大半は動物のようだった。カンガルーやパンダ、それにゾウガメもいた。店の隅の座席にはバッタさえいた。バッタはそうめんのつゆに脚を入れたまま停止していた。めんつゆの隣には、ざるそばが置かれていた。出てきたままの状態のようだった。

「虫がいるな」と私は言った。

「お静かに」とゴリラは言った。「お席に御案内致します」

バッタはめんつゆに節足を浸して停止していた。麺に取り組む気配はないようだった。

「ああいう虫が来ると、回転率が悪くなって困るだろう?」

「昆虫のお客様には、昆虫のお客様のリズムがあります」とゴリラは言った。「ヒトのリズムと比べれば、遅く見えるかもしれませんが」

ゴリラのくせに、もっともらしいことを言いやがる。私はゴリラの桃色のエプロンのポケットに差された一本のボールペンに視線を向けた。激しくツボに入ってしまった。何を書くことがあるんだ、ゴリラ風情が! 類人猿のくせして、偉そうに文字を書きやがる。

座席に付いた。店内の壁に貼り紙があった。さまざまなメニューが貼られていた。その中に一枚、奇妙な貼り紙があった。

《ポール・スミスから色彩を奪え!》

「あれは誰が書いたんだ。あんたか」

そうたずねると、ゴリラは照れくさそうに頭をかいた。

「ええ、むしゃくしゃした日にね、書き殴ってしまいました。どうにも気分がすぐれない時、ちょうど伊勢丹でポール・スミスの店の前を通りかかりまして、色鮮やかなたくさんのシャツに無性に腹が立ったという、それだけの理由なのですけどね。ゴリラの世界には、不合理な怒りを命令形にして書きなぐる文化があるのです。俗にゴリラ詩と呼ばれるものですね。だから一応、あれは私の作品ということになります。怒りを昇華して、反省の心をあらわした時、ゴリラという種族は美を感じるのです」

結局は、ゴリラの考えることだ。内容が支離滅裂だ。本当に反省しているならば、店の壁に貼るのは矛盾している。

「これをくれ」私は、メニューのエビフライ定食を指差した。

「こだわり定食でなくてよいのですか。非常におすすめなのですが」

私は自分が店に入った理由を忘れていた。

「こだわり定食以外は、まったくこだわらずに作っているので、ものすごく不味いのですけど」

これだから、ゴリラとの会話にはイライラさせられる。こだわり定食以外だろうが、それなりにこだわって作るのが料理人の筋だろうが。しかし私は口に出さなかった。「いい」とだけ言った。

「エビフライ定食をくれ」

ゴリラはエプロンのポケットからボールペンを抜くと、伝票にさらさらと何かを書いて去っていった。どうせ「エビ」とでも書いたのだろう。

窓際の席だから店内の全体が見渡せた。人間の客は他の動物や昆虫と馴染んでいるように見えた。スーツ姿の人間がいた。その隣にむきだしのゾウガメが座っていた。衣服という概念が揺らいだ。私は自分の衣類を確かめた。ちゃんと布を身に付けている。私は人間だ。

それからエビフライ定食のことを考えた。どれだけ不味いのだろう? あるいは不味いと言っても最低限の味は保証されているのだろうか? タルタルソースがあればそれでよいと思った。タルタルソースさえあれば、粗悪なエビだろうが味覚はごまかされる。

ふたたび多種多様な客を眺めた。小さな緑色に視線を向けた。どうもバッタが気になるようだった。バッタはあいかわらず、めんつゆの容器にとまって脚を浸していた。触角がゆれていた。何を考えているんだ、と私は思った。ざるそばを食べる気はあるのか?

バッタの隣の席では、パンダが笹を食べていた。机にはすでに食べ終えた皿が置かれていた。残骸からして何らかの肉だったのだろう。パンダは食後の笹をむしゃむしゃとやっていた。店のメニューにはない。自前なのだろう。所詮、動物のやることだ。マナーがなっていない。こういう店では普通、持ち込み禁止だろう。

パンダの隣にはスーツを着たサラリーマンらしき人間が座っていて、スマートフォンの画面に釘付けになっていた。指先をすばやく動かし、次々と画面をスクロールさせていた。画面を見たまま水を取ろうとして指先が当たり、グラスが倒れそうになって慌てていた。他にも諸々の動物たちがいた。繁盛している。すでに一時過ぎでこの客入りは、なかなかのものだろう。

エビフライ定食が運ばれてきた。運んできたのはゴリラではなく、若い人間の女だった。私は同志を見つけた気分になった。彼女を手招きすると、ひそひそと耳打ちした。ゴリラの下で働くのは大変だろう? それに客も動物だらけだ。バッタまで我が物顔でめんつゆに取り組んでいやがる。それから視線でポール・スミスの貼り紙を示唆した。ああいった訳の分からない思想にも、かぶれているしね。

女は、明確に愛想笑いだと判断できる表情を見せた後、エビフライ定食を置いて去っていった。分かり合えない。

私は食に取り組むことにした。エビフライの横にはタルタルソースが絵の具のようになすりつけられていた。がさつだ。エビフライの味は中の下といったところだった。

ひととおり食べたところでトイレに立った。トイレの壁にはゴリラの絵が描かれた小さなカレンダーが掛けられていた。用を足して席に戻ると、皿に残ったレタスの山にバッタがとまっていた。私は絶句した。めんつゆのほうに視線を向けた。姿が消えていた。あのバッタが、このバッタなのか。私は小声で言った。

「おい、俺のエビフライ定食だぞ」

バッタは無反応のまま、レタスの山のすみを削るように食べていた。私は紙ナプキンごしにバッタの腹をつまんだ。不愉快な柔らかさ。そのまま床に放った。バッタはとくに抵抗しなかった。しばらく床で触角を揺らしていた。私はおしぼりでしつこく指先を拭いた。さすがに残りのレタスに口を付ける気にはなれなかった。

スマートフォンを取り出して店の評価を調べた。一年前の投稿が一件あるだけだった。「店の床をゴキブリが走り回っていた。二度と行かない」と書かれていた。アイコンからすると投稿者はフナムシのようだった。ふざけていやがる。自分だって似たような外見をしているくせに、何を言っているのか? しかし似たような外見をしているからこそ、憎悪もふくらむのかもしれない。私は人類の血みどろの歴史を思い、バッタの緑色を思った。

腹はふくれた。平皿にはレタスの山だけが残っていた。バッタは自分の席に戻り、ふたたびめんつゆの容器のふちにとまって脚を浸していた。注文の選択を間違えたのだろう。定食ならレタスが付くことを知らずに、やみくもに注文したのがざるそばだったのだ。バッタの知能では仕方ないことだ。

私はふくらんだ胃袋に手を当てたまま、厨房に目を向けた。店員の女がゴリラに耳打ちしていた。ゴリラは優しそうに微笑み、女の背中に巨大な手をやると、なぐさめるように何かを言っていた。

私は伝票を持って立ち上がった。伝票には「フライ」とだけ書かれていた。そっちを取って簡略化するのか? やはり、ゴリラとは分かり合えない。

会計を済ませた。帰ろうとするとゴリラに手招きされた。「お客様にこうしたことを申し上げるのは非常に心苦しいのですが」と前置きして、ゴリラは言った。

「あなたは、動物や昆虫たちのことを馬鹿にしているでしょう? そういったことは意外と伝わっているものですよ、口ぶりや表情で」

ゴリラは顔を近付けた。

「可奈子ちゃんが怯えていました」

店員の女の名前なんだろう。

「とくに、バッタのお客様に対する言動は目に余るものでした。不適切な言葉を口にされました」

「あの後、あいつは俺の定食のレタスを食べたんだがね。おまえに責任はないのか?」

「なぜ、自分の定食は自分だけの定食だと思っているのですか」

「こりゃまた支離滅裂だな。自分の定食は自分の定食に決まっているだろうが。しかしまあ、よかったんじゃないか? これで紙に書き殴るネタができただろう。おまえらの文化なんだろう、ゴリラ詩とかいうのがさ。俺への不満を書き殴って店の壁に貼れば、ゴリラ芸術一丁あがりというわけだ。まったく、簡単でいいよな」

一瞬、ゴリラの筋肉に強い緊張が走ったようだった。しかし表面上は穏やかな態度を崩さなかった。

「人類の天下は終わったんです。そろそろ受け入れるべきですよ」

ゴリラは店の扉を閉めた。

私は商店街を歩いた。駅前のベンチに座ると、スマートフォンを取り出して、ゴリラの店のレビューを書いた。

《初の来店。エビフライ定食を注文。バッタにレタスを食べられた。店主はポール・スミスに対する危険思想の持ち主。こだわり定食以外はこだわらずに作っていることを悪びれずに暴露された。店員の女はゴリラに色目を使っていた。客のパンダは自前の笹を持ち込んでいた。エビは粗悪。タルタルソースがなければ完食は不可能。それから伝票の件は吹き出した。伝票に「フライ」と書かれていたのだ。メニューにはカキフライ定食やアジフライ定食もあった。エビフライ定食を「フライ」と簡略化すれば、確実に混乱が生じるだろう。人類ならば誰でも分かることだ。結局はゴリラのやっている店なんだな、と実感させられた。結論としてはおすすめしない。私は二度と行かない。》

満足して送信した。すぐに反映された。私のレビューの上に人類のアイコンが表示された。スマートフォンをカバンに入れると、駅に向かって歩き出した。

その後何年も、ゴリラの店のレビュー欄には人類とフナムシのアイコンが並んでいた。インターネットは、人類とフナムシしか使っていないのだった。