真顔日記

上田啓太のブログ

aikoにとって言葉とは何か?

泡のような愛だった (初回限定仕様盤)

「あなた」の言葉が「あたし」の身体に侵入してくる。それがaikoの歌詞世界である。aikoにとって、言葉は器用に使いこなすことのできる便利な道具ではない。言葉があまりに強く肉体と結びついているからだ。『LoveLetter』の歌詞を見よう。

何度も何度も何度も読み返そうか
だけどそんなに読んだらあなたは嫌かな
何度も体に入ってくる言葉が苦しい 

「あなた」の手紙にまったくうっとりしていないところが、いかにもaiko的な描写だと言える。aikoにとって「あなた」の手紙を読むことは、言葉をみずからの体内にいれて苦しむことなのである。むろん、「苦しいなら読むなよ」というツッコミもありうるが、それはaiko的世界への無理解から起こる。「好き」という感情が苦しみと結びつくことを知らない人は、端的に言って、いまだaikoを知らないのである。

『彼の落書き』という曲では、「あなた」への想いが、「あたし」の体じゅうに文字として浮かび上がってくる。

落ちぬ取れぬ消えぬあなたへの想いは正に
体中の落書きみたい
こすって赤く腫れてしまうから今すぐ
その手でぎゅっと強く包み込んで

「体中の落書きみたい」という比喩は、すぐさま「こすって赤く腫れてしまう」と肉体化していく。言葉と身体が強烈に結びついている。肉体に浮かびあがった想いはどうしても消えてくれず、aikoは必死で体をこするのだが、肌が赤く腫れるだけで、文字は消えてくれない。「今すぐその手でぎゅっと強く包み込んで」という着地点のかわいらしさと、そこに至るプロセスの生々しくグロテスクなイメージの両立が、これまた非常にaiko的な逸品だと言えよう。

熱いふとももに落書き
二人離れぬように名前書いた
細い薄い線だけど 
たやすく消えたりしないわ
心に染み込んで
『リップ』

『彼の落書き』では想いが文字として肉体に浮かび上がってきたが、『リップ』では反対に、肉体に書かれた文字が「心に染み込んで」ゆくことになる。

このように、言葉と肉体があからさまに関係するのがaikoの世界である。「あなた」の書いた文字は体内に侵入し、「あなた」への想いは体じゅうに文字として浮かびあがってくる。そしてふとももに文字を書けば、当然のように心へと染み込んでゆく。それでは恋愛においてもっとも重要な文字とは何か。それは『リップ』でふとももに書かれたもの、すなわち「名前」である。

aikoにとって名前とは何か?

『キスの息』の歌詞を見よう。

手帳に書いた名前を
上から黒く塗りつぶしたけれど
指でなぞるたびに
あたしの心の中にあなたが入ってく

ここでは、非常に複雑な操作がおこなわれている。まず、aikoは「あなた」の名前を手帳に書いている。そしてそれを黒く塗りつぶしてしまう。だがそれでも、指でなぞるたびに、心の中に「あなた」が入ってきてしまうという。

ここでわれわれが確認しなければならないのは、恋愛は固有の名前を必要とするということである。二つの名前が結びつくことが恋愛なのであって、二つの性器が結びつくことが恋愛なのではない。それは生殖という別のジャンルである。

どこかにいい男、いい女がいないかという発想は、どこかにいい性器はいないか、いい遺伝子はいないかという発想であって、ヒトの生殖活動における一プロセスにすぎない。生殖は生殖、恋愛は恋愛である。どちらが良いかという話ではなく、これらは単純に別のものであり、生殖と恋愛を取りちがえたとき、悲劇は生まれる。

ここですこしaikoをはなれ、漫画『君に届け』の一場面を参照しておこう。コミックス1巻、主人公の爽子は放課後に一人で残り、クラスの出席簿を作っている。その最中、爽子は恋の相手である風早の名前をただ見つめる。そこに当の風早がやってくる。風早は出席簿の作成を手伝うと言い、ペンを借りると、そこに爽子の名前を書く。

爽子が風早の名前を書き、風早が爽子の名前を書く。このさりげない共同作業によって、お互いが「あなた」の名前を確認する。風早は教師に呼びだされ去っていくが、爽子は風早の手で書かれた自分の名前を見つめ続ける。ただ文字の並びを見つめるだけのことが、そのまま爽子の心に幸せな感情を生み出す。特定の名前が自分にとって特別なものになるのは、こうした瞬間である。

これを恋愛のはじめの幸福な一場面とするならば、aikoの『キスの息』で描かれたのはその先である。そこでは「あなた」が固有の名前を持ち、他の誰にもかえられない存在であることが苦しみを生み出している。その苦しみゆえにaikoは手帳に書いた「あなた」の名前を黒く塗りつぶすのだが、その行為は何の効果をもたらさず、塗りつぶした名前すら、指でなぞれば心の中に入りこんでしまう。

名前をとおして、「あなた」の固有性を確認する。このとき、はじめて恋愛が生まれる。恋愛とは、関係の固有性を取り戻すための戦いである。恋愛が失なわれれば、あとに残るのは、名もなき性器が織りなす無数の結合にすぎない。みもふたもない言い方をすれば、それはチンコとマンコの順列組み合わせである。

よって、われわれには二つの選択肢が与えられている。特別な名前が存在しないむなしさを生きるか、特別な名前が存在するゆえの不安を生きるか。aikoが生きるのは後者の世界である。