真顔日記

上田啓太のブログ

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寄稿:ドラゴンボールの世界は芸能界に似ている - マンバ通信

ハトの配色は奇をてらいすぎ

去年の夏、河川敷に座って、鴨川の流れをながめていた。川というのは見飽きない。作為がないからである。周囲にはハトがたくさんいた。まじまじとハトを見た。ハトもまた見飽きない。やはり作為がないからである。

と、言いたいところだが、ハトを見て思ったのは、首まわりの配色が奇をてらいすぎだということだった。全身は地味な灰色なのに、首のあたりだけ、蛍光のパープルとグリーンがざっくりと塗りたくられている。これはかなり大胆な色使いだろう。企画会議なら非常に揉めそうなもの。けっこう長いこと見ていたが、いっこうに納得がいかなかった。

ハトというのは日常的な鳥だし、そこらの公園に行けば一山いくらでポッポポッポやっているから、ついつい普通のものだと思ってしまうが、あらためて観察すると、こんな妙な鳥はない。そもそも、この歩き方はなんなのか。一歩進むごとに頭を前後に動かしている。

どんなお調子者も五分で恥ずかしくなりそうな、徹底的にひょうきんな動きである。すこしでも自意識があればやれたものじゃない。それを種族全体でやっているんだから見上げたものだ。遺伝子レベルで滑稽な鳥。親から子、子から孫へと滑稽を受け継いでいる。そりゃ平和の象徴と言われるわけだ。平和というのは、滑稽の長期的持続のことなのだから。

兵士の行進においてハトの首の動きを義務づければ、戦争など馬鹿馬鹿しくてやってられたものではない。我が国の兵士がハトのような首の動きで前進すれば、敵国の兵士もハトのような首の動きで前進する。どちらの兵士も耳まで真っ赤である。こんな状態じゃ、目もまともに合わせられない。「もう戦争やめましょう」となる。

ハトの眼というのもまた奇妙なものだ。外的な力で無理やりに見開かれたような眼をしている。まぶたに針金のフックをかけて、強制的に眼を開かせるとハトの眼になるんじゃないか。『時計じかけのオレンジ』の後半で、主人公があんな眼をさせられていた。

こう考えると、ハトは眼も動きも首まわりの色づかいも、すべてがおかしい。幻覚のような見た目をしている。あれは日常の鳥なんかじゃなく、ドラッグによる変性意識状態ではじめて目にするべき鳥じゃないのか。「あ、やばい鳥見えた」と言って頭をぶんぶん振るほうが、正解な気がする。

今後、ハトが見える人間は全員ラリッていると思って生きることにした。人類皆狂気。