真顔日記

上田啓太のブログ

運命の浪費

夕方、コンビニでアイスコーヒー。例のごとくマシンの前で抽出を待つ。となりのマシンでは先にいた小太りの男がフラッペを作っていた。しかし私のアイスコーヒーのほうが時間はかからないから、結果として、私のマシンと男のマシンが同時にピーッと完成を告げた。美しく重なる二つの音。なんなんだ、この無意味な偶然は。照れちゃうよ。

男のマシンの側にストローやフタの棚があったため、その後しばらく、二人の男が言葉もかわさず気をつかいあって、互いの位置どりを模索することに。気まずさと照れくささの混じりあった奇妙な空間。あたふたした。

こういうの、奇跡の浪費だよなと思う。運命のむだづかい。へんなところで偶然の出会いを演出するな。

世界の運命の総量が一定だとすれば、このせいで結ばれなかったカップルとか出てくるんだろうな。あと一本バスがちがっていたら出会えたはずの二人が、とくに出会うこともなく、二人の人生が重なりあうこともなく、淡々とそのまま続いていく。かわりにコンビニの店内で奇跡のように重なりあう電子音。ごめんよ。彼とはその後何もなかったよ。

ひさしぶりのレジ袋

午前六時起床。快晴。昼に外出。コンビニにアイスコーヒーとミニようかんを買いに行く。まだ日ざしが強い。セミの声一切きこえず。とうとういなくなったのか。この夏最後のセミの声をその時点で判断することは不可能だ。後にならないと分からない。

手ぶらでコンビニ到着。アイスコーヒーは手持ちでいいし、ミニようかんはポケットに入れればいいと考えていた。しかし店内で食品に囲まれ、さらなる食欲がわいてきたため、アメリカンドッグとポケチキのプレーンを一緒に購入。

このすべてをむきだしのまま持ち帰るのは大変だし、なによりバカみたいなので、ひさしぶりにレジ袋を購入。3円。吹けば飛ぶような値段。ひさしぶりのレジ袋はなんだか記憶しているよりもペラペラだった。布製の買い物袋に慣れたからか。こんなに薄くて軽い子だったのか。

帰宅。6個のポケチキを食べ、アメリカンドッグを食べ、アイスコーヒーを飲んだところで、完全に満足する。ミニようかんが完全に余分だったが、フォルムがよいので許した。つるんとしたきれいな直方体には弱いんだ。

雑念日記更新

ジモコロで連載している雑念日記が更新された。毎回、三本のコラムで合計3000字ほどになる構成。それぞれのコラムの内容は無関係だが、なんとなくバランスは考えている。ちなみに今回は、

・文字列ループのサイコ感
・あいみょんの分裂
・どうぶつビスケットで動物園を作る

の三本です。

この紹介のしかた、サザエさんみたいだよな、と毎回思う。タイトルを三つ並べるとサザエさんだと感じるように幼少期から刷り込まれているのか。「さーて、来週のサザエさんは!」と切り出してみたくなる。

もっとも、サザエさんに「文字列ループのサイコ感」なんて回はありえないが。あれば屈指の珍回になる。「あいみょんの分裂」もありえない。「どうぶつビスケットで動物園を作る」はギリギリいけるかもしれない。カツオにそそのかしてもらって、タラちゃん、イクラちゃんあたりに奮闘してもらえれば。

午後にすこし散歩。近所のゴミ捨て場の掲示板に、毛筆で太く荒々しく、「火曜日、容器包装・プラ」と殴り書きされていた。守らねえとただじゃおかねえ、という凄みが感じられた。文字には呪術的な支配力があることを思い出した。古代の記憶だ。

・月曜日・木曜日、燃やせるごみ
・火曜日、容器包装プラ
・第三金曜日、燃やせないごみ

さすがにサザエさんにはならんな。万能ではなかった。

雑念日記:あいみょんの分裂 他2本

初期の台風クラブ

午前二時起床。夜型生活を突き抜けて朝型生活に移行しはじめた。しかし、こうして起床時間を書いていると、こいつどんな生活してんだよ、となるな。毎日すこしずつ起床時間が後ろにずれているだけで、体感としては淡々と安定したリズムではあるのだが。

ひさしぶりに日中に外に出ると、日ざしがきつく、セミの鳴き声がきこえた。半そでで汗だく。ほんとに九月半ばか?

台風クラブ『初期の台風クラブ』をきいた。2017年リリースのファーストアルバム。はじめてきいた時、これは絶対に京都のバンドだと感じて、調べてみると実際に京都で結成されたバンドだった。この京都感というか、京都の大学生感は、くるりの一枚目を思い出すな。共通しているのは、ぶっきらぼうな叙情性か。

脳の仕事

このあいだの日記で『金田一少年の事件簿』のことを書いた。犯人の二ツ名を「七番目のミイラ」としていたのだが、翌日、目覚めた瞬間に「七番目のミイラじゃなくて七人目のミイラだ!」と気づいて、検索して確認して修正した。

こういう時の脳の働きかたは不思議で面白い。目覚めた直後になにかに気づく。私はよくこの気づきかたをする。寝ている間に脳が仕事してくれているのか。すごいな。公開する前に気づいてくれよ、という話ではあるけれど。

夜に近所を散歩。しばらく歩いて遠出を決める。真夜中の酒造工場の勝手口の灯り。じじいみたいな眼をした白猫が前を横切る。うねるような坂道を初めて降りる。坂道の左側が階段になっていて、そこを歩いた。段幅が歩幅と合わずに苦労する。ちまちま歩かされた。

坂を降りると、Y字路に小さなコインランドリー。三角形の土地に建てられたプレハブの中に最低限の設備。二台の洗濯機と乾燥機。コインランドリーの前には木製のベンチと自動販売機。すれちがったカップルからメロンソーダの香りがした。夜道を散歩する飼い犬の首輪で点滅する赤い光。民家と民家のあいだに空き地があって、たくさんの雑草が生い茂っていた。空間を埋めつくす秋の虫の声。

一時間ほど歩いて帰宅した。

金田一少年とニーチェ

夜型生活で終日在宅。日光の存在しない生活だ。深夜一時、まつ毛が抜けて、どこかに消えた。

ニーチェ―ツァラトゥストラの謎 (中公新書)』と『金田一少年の事件簿』を併読。しかし、この両立はさすがに無理があり、ナンセンスな混合物が脳内に発生。

私は血で書かれた文字だけを愛すると言ったニーチェ。殺害現場に残されたダイイングメッセージを写真に撮ってニーチェに送ろうとする金田一少年。そういう意味じゃないと思うよ、と冷静に指摘する美雪。

ニーチェをちゃんと読んでみるべきかな、と思いはじめている。十年以上前にツァラトゥストラを夜通し読んで異様に興奮した覚えはあるけど、内容をまったく覚えてないな。その数日前にはドグラマグラを夜通し読んで異様に興奮していたな。青春という感じだ。

昔、週刊アスキーの大喜利連載で、「新しく入ってきたバイトは哲学者らしい。なぜそう思った?」というお題があって、

挨拶が「ツァラトゥストラ〜〜〜ッス!!」

という回答を出したな。アホやな。アホな回答は妙に覚える。

さくさくぱんだ

コンビニでホットコーヒーとチョコレートを購入。昨日、三度目のプレッツェルショコラ購入を果たして、さすがに飽きてきたので、今日は目先をかえてパンダのチョコにした。正式には、ファミリーマートコレクションの「かわいいチョコビスケットのさくさくぱんだ」。

こうした日記を書いていると思うが、商品名をちゃんと書き写すと、それだけでなんとなくアホらしさが漂ってくる。俺はかわいいチョコビスケットのさくさくぱんだを食べたのか。足の親指の皮も分厚くなった三十代の男が。

さくさくぱんだはたまに食べる。ビスケットにチョコレートが重ねてあり、それがパンダの顔面になっている。しかし、今回はすこしチョコが溶けていた。さわるとブニュッとした。パンダの皮脂だと思った(なぜそうイヤな発想をするのか)。

パンダはさまざまな表情をしていた。喜怒哀楽が表現されている。逆に、すべてのパンダが完全な無表情だったら笑っちゃうよな。さくさくぱんだを名乗る無数のパンダたちが、何の表情もなく、ただこちらを見つめている。ベビーカーに乗った赤ん坊の射抜くようなまなざしで。

真夜中の散歩

午後四時起床。真夜中に散歩。どこかのアパートの窓が開いていて、人の話し声と笑い声がきこえてきた。日本語ではなく英語でもなかった。しばらく注意してきいてみたが、どこの国の言葉なのかは分からないままだった。未知の言語だ。しかし笑い声は笑い声として認識できる。似たような人体を持っているからか。

人気のない大学病院の構内を歩いた。病院入口には自動販売機とベンチ。自転車置き場の支柱と屋根のあいだにクモの巣があって、一匹のクモが静かにしていた。クモと私の人体は似ていない。笑っていても分からない。

秋の虫が草むらで鳴いていた。夏の虫は昼に鳴き、秋の虫は夜に鳴く。冬は静寂。

『金田一少年の事件簿』を読み返していた。オペラ座館殺人事件から魔術列車殺人事件あたりまでは、本当に傑作の森という感じだ。しかし、ようやく自覚したが、私はこのマンガを推理ものではなく怪奇ホラーとして読んでますね。だから初期の雰囲気が好きなんだ。犯人の二つ名にいちいち興奮してしまう。放課後の魔術師、七人目のミイラ、赤ひげのサンタクロース……。

吉岡実『うまやはし日記』

中原昌也作業日誌』がKindle Unlimitedに入っていたので読み返している。およそ三年半の日記。なんだかんだで読むのは四、五回目になる。種田山頭火の日記も読み進めている。乞食(こつじき)をしながらの旅の記録で、その日の宿の感想をよく書いている。

日記らしい日記を書いてみようと思って、色々と文学者の日記を参考に見ているのだが、文章面でいちばんエキサイトしたのは、吉岡実の『うまやはし日記』。あとがきに記された成立過程が面白い。元になったのは1938年から1940年にかけての日記で、それを1980年、『現代詩手帖』に掲載するために、

戦前の「日記」二冊が消失をまぬかれて残った。(中略)冗長な記述を簡明にし、ここに収録する。

さらにこれが、1990年に単行本となるのだが、そこでは1980年の原稿に対して、

省略したきわめて「私的事項」を拾い出して、挿入してゆくうち、思わずも熱が入り、八十余枚の原稿に成ってしまった。

ということで、二十歳前後で記した日記に、吉岡実本人が四十年後および五十年後に二度、大きく手を入れた文章となっている。「冗長な記述を簡明にし」とあっさり書かれているが、本当に「簡明」が徹底されていて、ものすごく面白かった。簡明の徹底は、不思議と迫力を生む。

坂の下のコメダ

自宅周辺には三つのカフェがある。それを気分によって使い分けている。川向こうのスターバックス、街の中心にあるスターバックス、そして長い坂を下りた先にあるコメダ珈琲。自宅からの方角は見事にバラバラだが、どれもほぼ等距離にある。上田の脳天にコンパスの針を刺して作図すれば、円周上にスタバ、スタバ、コメダの三点を打つことができるだろう(*)。

*上田は死ぬ

今日は坂の下のコメダに行った。前に座る男の後頭部をながめながら作業をした。男の耳には黒い無線イヤホンが詰められていて、数秒おきに青いランプが点灯していた。私は夜空をとぶ飛行機の定期的な点灯を思い出していた。丸いトレイを左のわきにはさんだ店員の女が、周期的に店内を往復していた。

窓ガラスの向こうには店の駐車場があった。数台の自動車が並んでいた。車種はどれも分からなかった。図鑑を見るように車のカタログを見るべきだ。店の入口付近にはタバコを吸うために一時的に外に出た男性客がいて、左手でスマホを操作しながら右手で器用にタバコを持っていた。男の耳たぶには、大きなリングピアス。

かつやで塩カツ丼を食べて帰宅した。