真顔日記

上田啓太のブログ

脳の仕事

このあいだの日記で『金田一少年の事件簿』のことを書いた。犯人の二ツ名を「七番目のミイラ」としていたのだが、翌日、目覚めた瞬間に「七番目のミイラじゃなくて七人目のミイラだ!」と気づいて、検索して確認して修正した。

こういう時の脳の働きかたは不思議で面白い。目覚めた直後になにかに気づく。私はよくこの気づきかたをする。寝ている間に脳が仕事してくれているのか。すごいな。公開する前に気づいてくれよ、という話ではあるけれど。

夜に近所を散歩。しばらく歩いて遠出を決める。真夜中の酒造工場の勝手口の灯り。じじいみたいな眼をした白猫が前を横切る。うねるような坂道を初めて降りる。坂道の左側が階段になっていて、そこを歩いた。段幅が歩幅と合わずに苦労する。ちまちま歩かされた。

坂を降りると、Y字路に小さなコインランドリー。三角形の土地に建てられたプレハブの中に最低限の設備。二台の洗濯機と乾燥機。コインランドリーの前には木製のベンチと自動販売機。すれちがったカップルからメロンソーダの香りがした。夜道を散歩する飼い犬の首輪で点滅する赤い光。民家と民家のあいだに空き地があって、たくさんの雑草が生い茂っていた。空間を埋めつくす秋の虫の声。

一時間ほど歩いて帰宅した。

金田一少年とニーチェ

夜型生活で終日在宅。日光の存在しない生活だ。深夜一時、まつ毛が抜けて、どこかに消えた。

ニーチェ―ツァラトゥストラの謎 (中公新書)』と『金田一少年の事件簿』を併読。しかし、この両立はさすがに無理があり、ナンセンスな混合物が脳内に発生。

私は血で書かれた文字だけを愛すると言ったニーチェ。殺害現場に残されたダイイングメッセージを写真に撮ってニーチェに送ろうとする金田一少年。そういう意味じゃないと思うよ、と冷静に指摘する美雪。

ニーチェをちゃんと読んでみるべきかな、と思いはじめている。十年以上前にツァラトゥストラを夜通し読んで異様に興奮した覚えはあるけど、内容をまったく覚えてないな。その数日前にはドグラマグラを夜通し読んで異様に興奮していたな。青春という感じだ。

昔、週刊アスキーの大喜利連載で、「新しく入ってきたバイトは哲学者らしい。なぜそう思った?」というお題があって、

挨拶が「ツァラトゥストラ〜〜〜ッス!!」

という回答を出したな。アホやな。アホな回答は妙に覚える。

さくさくぱんだ

コンビニでホットコーヒーとチョコレートを購入。昨日、三度目のプレッツェルショコラ購入を果たして、さすがに飽きてきたので、今日は目先をかえてパンダのチョコにした。正式には、ファミリーマートコレクションの「かわいいチョコビスケットのさくさくぱんだ」。

こうした日記を書いていると思うが、商品名をちゃんと書き写すと、それだけでなんとなくアホらしさが漂ってくる。俺はかわいいチョコビスケットのさくさくぱんだを食べたのか。足の親指の皮も分厚くなった三十代の男が。

さくさくぱんだはたまに食べる。ビスケットにチョコレートが重ねてあり、それがパンダの顔面になっている。しかし、今回はすこしチョコが溶けていた。さわるとブニュッとした。パンダの皮脂だと思った(なぜそうイヤな発想をするのか)。

パンダはさまざまな表情をしていた。喜怒哀楽が表現されている。逆に、すべてのパンダが完全な無表情だったら笑っちゃうよな。さくさくぱんだを名乗る無数のパンダたちが、何の表情もなく、ただこちらを見つめている。ベビーカーに乗った赤ん坊の射抜くようなまなざしで。

真夜中の散歩

午後四時起床。真夜中に散歩。どこかのアパートの窓が開いていて、人の話し声と笑い声がきこえてきた。日本語ではなく英語でもなかった。しばらく注意してきいてみたが、どこの国の言葉なのかは分からないままだった。未知の言語だ。しかし笑い声は笑い声として認識できる。似たような人体を持っているからか。

人気のない大学病院の構内を歩いた。病院入口には自動販売機とベンチ。自転車置き場の支柱と屋根のあいだにクモの巣があって、一匹のクモが静かにしていた。クモと私の人体は似ていない。笑っていても分からない。

秋の虫が草むらで鳴いていた。夏の虫は昼に鳴き、秋の虫は夜に鳴く。冬は静寂。

『金田一少年の事件簿』を読み返していた。オペラ座館殺人事件から魔術列車殺人事件あたりまでは、本当に傑作の森という感じだ。しかし、ようやく自覚したが、私はこのマンガを推理ものではなく怪奇ホラーとして読んでますね。だから初期の雰囲気が好きなんだ。犯人の二つ名にいちいち興奮してしまう。放課後の魔術師、七人目のミイラ、赤ひげのサンタクロース……。

吉岡実『うまやはし日記』

中原昌也作業日誌』がKindle Unlimitedに入っていたので読み返している。およそ三年半の日記。なんだかんだで読むのは四、五回目になる。種田山頭火の日記も読み進めている。乞食(こつじき)をしながらの旅の記録で、その日の宿の感想をよく書いている。

日記らしい日記を書いてみようと思って、色々と文学者の日記を参考に見ているのだが、文章面でいちばんエキサイトしたのは、吉岡実の『うまやはし日記』。あとがきに記された成立過程が面白い。元になったのは1938年から1940年にかけての日記で、それを1980年、『現代詩手帖』に掲載するために、

戦前の「日記」二冊が消失をまぬかれて残った。(中略)冗長な記述を簡明にし、ここに収録する。

さらにこれが、1990年に単行本となるのだが、そこでは1980年の原稿に対して、

省略したきわめて「私的事項」を拾い出して、挿入してゆくうち、思わずも熱が入り、八十余枚の原稿に成ってしまった。

ということで、二十歳前後で記した日記に、吉岡実本人が四十年後および五十年後に二度、大きく手を入れた文章となっている。「冗長な記述を簡明にし」とあっさり書かれているが、本当に「簡明」が徹底されていて、ものすごく面白かった。簡明の徹底は、不思議と迫力を生む。

坂の下のコメダ

自宅周辺には三つのカフェがある。それを気分によって使い分けている。川向こうのスターバックス、街の中心にあるスターバックス、そして長い坂を下りた先にあるコメダ珈琲。自宅からの方角は見事にバラバラだが、どれもほぼ等距離にある。上田の脳天にコンパスの針を刺して作図すれば、円周上にスタバ、スタバ、コメダの三点を打つことができるだろう(*)。

*上田は死ぬ

今日は坂の下のコメダに行った。前に座る男の後頭部をながめながら作業をした。男の耳には黒い無線イヤホンが詰められていて、数秒おきに青いランプが点灯していた。私は夜空をとぶ飛行機の定期的な点灯を思い出していた。丸いトレイを左のわきにはさんだ店員の女が、周期的に店内を往復していた。

窓ガラスの向こうには店の駐車場があった。数台の自動車が並んでいた。車種はどれも分からなかった。図鑑を見るように車のカタログを見るべきだ。店の入口付近にはタバコを吸うために一時的に外に出た男性客がいて、左手でスマホを操作しながら右手で器用にタバコを持っていた。男の耳たぶには、大きなリングピアス。

かつやで塩カツ丼を食べて帰宅した。

プレッツェルショコラ

午後四時起床。深夜に町内を散歩。民家の二階のベランダで、白いランニングをきた老人が板にヤスリをかけていた。それは真夜中にやることなのか。歩きながら見つめてみたが、向こうは気がつかなかった。一心不乱に板を磨いていた。

別の民家の窓からは、子どもがピーマンを食べたことを褒めたたえる声がきこえてきた。同時にすこしの拍手。

コンビニに寄ってホットコーヒーを購入。とうとうアイスから切り替えた。コーヒーの衣替えだ。いっしょにブルボンのプレッツェルショコラというのを買ってみた。ブラックコーヒーにむちゃくちゃ合うな。しばらく買っちゃいそうだ。パッケージに書かれたキャッチコピーは、

 とまらないおいしさ!

 カリッと堅焼きプレッツェル!!

真実だ。

浮くファッション

午後に外出。うらぶれた商店街を歩いていると、向こうから丸いサングラスをかけた若い男が歩いてきた。服装はかっこよかったが、さびれた商店街の雰囲気からは浮いていた。たまにこういうことがある。その人間単体では成立しているのに、状況までふくめると奇妙にずれる。

昔、ミッシェルガンエレファントの近似値みたいな格好をした男が、みじかい横断歩道の向こうでポケットから親指だけ出して信号待ちしていたことがあった。そのまま音楽雑誌のグラビアに持っていけそうな状態だったが、ミニの横断歩道を待つためのポージングではなかった。

まあ、みじかい横断歩道をわたることを想定してその日の服装を決める人間などいないのだが。

結婚式に喪服で行くことや、葬式にアロハシャツで行くことは分かりやすい。場の要求するものと明確にずれている。バンジージャンプに宇宙服で参加する人は、高さの感覚が粗っぽすぎる。

『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』。2001年に発表されたミッシェル六枚目のアルバム。なんとなく流れで聴きかえした。じつは、ミッシェルはこのアルバムがいちばんすごいのではないか。演奏のテンションが極まっている。

秋の予告編

今日はよい天気。暑くもなく、寒くもなく、秋の予告編のようだ。このところ、狂気誘発系の猛暑と、湿度鬱々系の雨の日ばかり体験していたから、今日のような日はありがたい。

夕方、自分のくしゃみの音が他人事のようにきこえた。猛獣の咆哮のような野太い音におどろいた。いつのまに、こんな音でくしゃみする人間になっていたのか。

夜、パソコンのスピーカーでモーツァルトを流し、タブレットのスピーカーでベートーベンを流し、室内に生じた混沌とした音楽をきいて、この音楽はモートーベンなのだと言っていた。お酒は飲んでいなかった。

Two Dots の音楽

CIAOPANICの紙のカタログにエッセイを書いた。「住みなれた街に呪文をかける」というタイトルで1200字。数日前に見本誌が届いた。全国の店舗で配布されるらしい。

この二週間ほど、iPadでTwo Dotsというパズルゲームをしている。一面数分ほど。すきま時間にふっとプレイして、すぐにやめられるのがよい。現在、レベル242まで来た。しかし、チラッと実績の欄を見たら、どうもレベルは3000以上あるようなのだが、気にしないことにする。淡々とやる。

Two Dotsはアメリカのゲーム制作会社によるもので、表示されるメッセージはすべて日本語化されている。しかし、その日本語訳が絶妙に狂っていて好きだ。狙ってやっているのか、たんに翻訳のプロセスでヘンになっちゃったのか。たとえば、ステージをクリアして報酬を獲得した時のメッセージは、

「うわー! ポストカードを見つけました! 価値は★20星!」

なんなんだ、そのドジな後輩みたいな口調は。笑っちゃうよ。

あと、このゲームはBGMがやたらとよいな。グラフィックもよい。淡々と日常的に続けるゲームでは、グラフィックと音楽がよいのは大事なことだ。と、調べてみたら、アップルミュージックでサントラが配信されてるよ! うわー!