真顔日記

上田啓太のブログ

プレッツェルショコラ

午後四時起床。深夜に町内を散歩。民家の二階のベランダで、白いランニングをきた老人が板にヤスリをかけていた。それは真夜中にやることなのか。歩きながら見つめてみたが、向こうは気がつかなかった。一心不乱に板を磨いていた。

別の民家の窓からは、子どもがピーマンを食べたことを褒めたたえる声がきこえてきた。同時にすこしの拍手。

コンビニに寄ってホットコーヒーを購入。とうとうアイスから切り替えた。コーヒーの衣替えだ。いっしょにブルボンのプレッツェルショコラというのを買ってみた。ブラックコーヒーにむちゃくちゃ合うな。しばらく買っちゃいそうだ。パッケージに書かれたキャッチコピーは、

 とまらないおいしさ!

 カリッと堅焼きプレッツェル!!

真実だ。

浮くファッション

午後に外出。うらぶれた商店街を歩いていると、向こうから丸いサングラスをかけた若い男が歩いてきた。服装はかっこよかったが、さびれた商店街の雰囲気からは浮いていた。たまにこういうことがある。その人間単体では成立しているのに、状況までふくめると奇妙にずれる。

昔、ミッシェルガンエレファントの近似値みたいな格好をした男が、みじかい横断歩道の向こうでポケットから親指だけ出して信号待ちしていたことがあった。そのまま音楽雑誌のグラビアに持っていけそうな状態だったが、ミニの横断歩道を待つためのポージングではなかった。

まあ、みじかい横断歩道をわたることを想定してその日の服装を決める人間などいないのだが。

結婚式に喪服で行くことや、葬式にアロハシャツで行くことは分かりやすい。場の要求するものと明確にずれている。バンジージャンプに宇宙服で参加する人は、高さの感覚が粗っぽすぎる。

『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』。2001年に発表されたミッシェル六枚目のアルバム。なんとなく流れで聴きかえした。じつは、ミッシェルはこのアルバムがいちばんすごいのではないか。演奏のテンションが極まっている。

秋の予告編

今日はよい天気。暑くもなく、寒くもなく、秋の予告編のようだ。このところ、狂気誘発系の猛暑と、湿度鬱々系の雨の日ばかり体験していたから、今日のような日はありがたい。

夕方、自分のくしゃみの音が他人事のようにきこえた。猛獣の咆哮のような野太い音におどろいた。いつのまに、こんな音でくしゃみする人間になっていたのか。

夜、パソコンのスピーカーでモーツァルトを流し、タブレットのスピーカーでベートーベンを流し、室内に生じた混沌とした音楽をきいて、この音楽はモートーベンなのだと言っていた。お酒は飲んでいなかった。

Two Dots の音楽

CIAOPANICの紙のカタログにエッセイを書いた。「住みなれた街に呪文をかける」というタイトルで1200字。数日前に見本誌が届いた。全国の店舗で配布されるらしい。

この二週間ほど、iPadでTwo Dotsというパズルゲームをしている。一面数分ほど。すきま時間にふっとプレイして、すぐにやめられるのがよい。現在、レベル242まで来た。しかし、チラッと実績の欄を見たら、どうもレベルは3000以上あるようなのだが、気にしないことにする。淡々とやる。

Two Dotsはアメリカのゲーム制作会社によるもので、表示されるメッセージはすべて日本語化されている。しかし、その日本語訳が絶妙に狂っていて好きだ。狙ってやっているのか、たんに翻訳のプロセスでヘンになっちゃったのか。たとえば、ステージをクリアして報酬を獲得した時のメッセージは、

「うわー! ポストカードを見つけました! 価値は★20星!」

なんなんだ、そのドジな後輩みたいな口調は。笑っちゃうよ。

あと、このゲームはBGMがやたらとよいな。グラフィックもよい。淡々と日常的に続けるゲームでは、グラフィックと音楽がよいのは大事なことだ。と、調べてみたら、アップルミュージックでサントラが配信されてるよ! うわー!

映画『犬鳴村』

映画『犬鳴村』をみた。序盤から怪異の大盤ぶるまいで面白かった。惜しみなく幽霊が登場する。カメラを振ることが幽霊登場の合図だ。しかし印象に残ったのは意外と幽霊そのものではなく、不良少年たちが電話ボックスの中で溺死する場面や、発狂した女がわらべうたを口ずさみながらジョボジョボと放尿して歩き去ってゆく場面。

映画の後半、主人公が車に乗って旧犬鳴トンネルから逃げ出すのだが、序盤に死んだ者たちが霊となって後を追いかけてくる。バックミラーに映っていた死人たちは、画面が切り替わるとすでに車内に入り込んでいて、助手席と後部座席から主人公を見つめている。この場面は笑ってしまった。一人一席として、律儀に座っていたからか。こうなってくると、助手席の幽霊がシートベルトをしているかが気になりはじめる。

実際に見えてしまった幽霊が、どことなくアホらしさを漂わせてしまうのは興味深い。見えないのに存在していることが幽霊の本質だからか。手持ちカメラのぶれた映像に映り込む幽霊は怖いのだけど、固定されたカメラの向こうにきっちり映りこんだ時、なんだかアホらしく見えてくる。しかし、二時間のホラー映画で一度も幽霊が見えなければ、それはそれで不満を持ちそうだし、観客としての自分はわがままだな。

私的には、見えることより聴こえることのほうが怖いな。狂気は耳から来る。

映画が終わると深夜だった。ホラー映画をみたあとは、しばらく少しの物音にも怯える。床のきしむ音、外のしげみのゆれる音。なんだかんだで、しっかりと恐怖を植え付けられている。感覚過敏というよりは、小さな音に対する意味づけ作用が強くなっているようだ。ささいな音は日常でも常に聴こえているのだが、普段はそれに意味づけすることなく、無視していることも知らないままに無視している。