真顔日記

上田啓太のブログ

日記らしい日記は一段落

午前九時起床。午後に外出。近所の服屋の前を通りすぎると墨汁のにおいがした。なぜ?

日記らしい日記を書きはじめて一ヶ月と十日が過ぎた。今回の日記を入れて合計31本。ちょうど一ヶ月分の日数になった。ちょこちょこと空いた日もありつつ、ほとんど毎日更新できた。この方式だと一回500字前後になるようだ。

しかし、もう少し間を空けて長いものを書くほうがやっぱり性に合ってるな、というのと、「午前九時起床」というふうに書きはじめると「いや知らねェよ」と反射的に思ってしまう自分がずっといることに気づいたので、そろそろ一区切り付けようと思う。精神構造として、自分は日記らしい日記に向いてないようだ。

ということで、今のやりかたは九月末の今日でおしまい。読んでくれた人ありがとう。

ニューバランス

午後、川向こうのスタバに行った。カウンター前に並んだ二人の客が両方ともニューバランスを履いていて、N、N、N、Nというふうに、四つのNが床近くに並んでいた。しばらくすると客はそれぞれ注文を終えて、四つのNも二手に分かれた。

あざやかな緑色のニットを着た女がいて、スタバのストローと韻を踏んでいた。ガラスごしに外のテラス席を見ると、中年の男、女、犬が当たり前のように座っていて、思わず二度見した。違和感をスルーした直後、すぐに違和感として気づく瞬間は面白い。毛むくじゃらの大型犬で、舌を出して椅子に座っていた。ドリンクは飲んでいなかった。

近くの席の子どもは、鉄塊でも入っているかのような重そうな青いリュックサックを背負っていて、それをイスの背もたれに引っかけようと頑張っていた。肩掛けの片方をうまく引っかけて、無事にリュックサックの位置を安定させると、先にレジへ向かっていた母親のもとへ走っていった。リュックサックには三匹のゾウの絵が描かれていた。

しばらくすると、青いシャツをきた彫りの深い老人がやってきた。老人の右うでに走る青黒い血管を視線でなぞる。ひじから始まり、薬指の途中で終った。

店を出ると、川べりの道を歩いて帰った。向こう岸にある中学校からブラスバンド部の太鼓の音がきこえた。すき家に寄って、ねぎ塩レモン牛丼を食べた。店内にはT.M.レボリューションの『HOT LIMIT』をジャズ調にアレンジしたものが流れていた。「ダイスケ的にもオールオッケー」のメロディを優雅にサックスで吹かれた時の気持ちには、まだ名前が付けられていない。

ブログのアーカイブ販売に関する説明ページを作った。ずいぶん前から作らなきゃ作らなきゃと思いつつ、後回しになっていた。あわせて過去の寄稿記事をまとめたページも微調整して再公開した。

アーカイブ販売について
上田啓太寄稿記事まとめ

パズルゲームの連鎖の快感

前に書いたTwo Dotsを相変わらず進めている。iPadのパズルゲームで、簡単に言えば画面をタッチして同じ色のドットをつなげていくだけのゲームなのだけど、レベルが上がるにつれて色々な要素が増えていって、自分がドットをつなげた後、しばらく連鎖的にドットが次々と勝手につながっていくのをボンヤリ見つめている時間が増えてきた。

しかし、それが気持ちよい。ゲームには連鎖の快感というものが明確にある。連鎖を見つめているだけで歓びを得られる。これは何なんだろう。指のひとふりで次々と反応が起こることに、脳が歓喜の声をあげている。なに? 神の歓び?

しかしこのゲーム、頭を使っているようで使っていないというか、考えなくてもそれはそれでクリアできることがあるという、奇妙なプレイの感触だ。自分の力で解けたのか、偶然の連鎖が重なって運よくクリアできたのか、いまいち判断できない。

半年前、Slay the Spireというゲームをしていたのだけど、これはシビアに頭を使うゲームだった。もちろん運の要素もあったのだけど、技術とランダム性のバランスは技術に寄っていたと思う。しかしTwo Dotsはランダム性の要素が大きく、そのぶん疲れていてもプレイできる。

たまに、これはもう解くのは無理だろうとあきらめて投げやりに指を動かしたら、あれよあれよという間にドットの連鎖が始まって、チャララララ〜ン! クリア〜! みたいになることがある。それをポカーンと見つめている自分がいる。神さまもこんな感じだったんだろうか。適当に指をふって生命を誕生させたら、あれよあれよという間に多種多様な造形の生きものがウヨウヨと動きだして、いまじゃ地球のあちこちを徘徊しているよキモ〜、みたいな。

そんな神さまはイヤだな。

結局、レベル780付近まで遊んだところで、Two Dotsは停滞中。再開するかは微妙なところ。レベルは3000以上ある。先は長い。神さまは宇宙に飽きたんじゃないかな。

ブルゾンちえみ

午後、例のごとくコンビニでアイスコーヒー。しかしこの日記、コンビニでコーヒー買ってばっかりだ。日記らしい日記を書くと自分の生活の単調がまるはだかになる。今日は、コーヒーの抽出を待つあいだ、腕をくんで右手の中指で左腕のひじの骨をトントンとたたく癖があると自覚した。

夜、ビールを飲みながらYoutubeを漂流。関連動画から関連動画へと、さんざん流れに流されて、最後はブルゾンちえみに辿りつく。ブレイク当時のキャリアウーマンのネタ。久しぶりにみたブルゾンちえみは、なんだかむちゃくちゃ面白かった。冒頭の「どうも、キャリアウーマンです」からすでに面白く、最後の「35億」で転げるように笑いに笑った。静かな部屋に反響する自分の朗らかな笑い声。直方体の部屋はまた、笑い声がひびくひびく。

むなしい。

「どうも、キャリアウーマンです」って、おそろしく抽象的な自己紹介だ。高度にアホらしい。

他人としての耳

午後に外出。大通りを歩いていた時、向こうから走ってきた自動車の運転手がハンドルをまったく握っておらず、奥歯に詰まった肉の繊維かなにかを必死で取ろうとしていたので、ものすごく不安になった。ただただ直進すればよい道ではあったのだけど。左折あるいは右折の必要がある時までに、奥歯の何かが取れますように。

帰宅後、音楽をききながら作業。今日は妙にトムヨークづいている一日だった。ソロ三作をきいて、アトムス・フォー・ピースのアルバムをきいて、レディオヘッドの近作をきいた。

現状のバンド最新作である2016年の『A Moon Shaped Pool』、リリース当時よく分からんなと思い、今もあまり印象は変わらないのだが、とりあえずピンとこない理由は分かった。分からない理由が分かった。レディオヘッド的なものというか、トムヨーク的なものを、自分は特徴的なドラムパターンと不穏なベースラインによって認識していて、このアルバムではそのへんが強調されていないんだ。

高音域だけでガスのように音がフワーッと漂っていると、自分はピンとこないことが多いようだ。リズムが強調されないと反応しないのだろうか。音楽をきくことは面白いな。耳は他人で、心臓も他人だ。どれだけ理詰めでアプローチしようが、分からないものは分からない。

すさまじく小さな葛藤

朝九時起床。夕方に短いジョギング。数日前からはじめた。途中で公園に寄って、鉄棒で筋トレもした。汗を流すと気持ちいい。しかし運動習慣というのは、ほんとに根付かないんだよな。

ただ、日々の運動量によって、起床直後の身体のすばやさは明確に変化する。ジョギングをすると機敏になる。初動が変わる印象だ。キビキビ動くようになる。運動不足だと、のっそり動く。じゃあ継続しろよ、って話なのだが。

あと、運動をすると飲みたいものが変化する。今日、帰りに寄ったコンビニで、ドリンクの棚を前に小さな葛藤が起きて面白かった。コーヒーではなくスポーツドリンクが飲みたい。だがその一方で、アイスコーヒーを飲みたがる惰性の部分も強く残っている。アイスコーヒーを飲みたがる昨日までの自分と、ザバスを飲みたがる今日からの自分に、心が引き裂かれていた。

この葛藤に気づくと面白い。普通にしていると気づかない。すさまじく小さな葛藤だ。気にとめなくても生きていける。むしろ気にとめないほうが平和に生きていけるのだろう。それはプランクトンの演じるシェイクスピア悲劇だ。オペラグラスではなく顕微鏡で観劇するドラマだ。プレパラートが劇場になる。

今日はアイスコーヒーを飲んだ。偉大なる惰性の勝利だ。しかし経験的には、さらに運動を継続していくと、ある段階でスポーツドリンクに切り替わる。酒とコーヒーの量が減る。はたして今回は続くのか。

運命の浪費

夕方、コンビニでアイスコーヒー。例のごとくマシンの前で抽出を待つ。となりのマシンでは先にいた小太りの男がフラッペを作っていた。しかし私のアイスコーヒーのほうが時間はかからないから、結果として、私のマシンと男のマシンが同時にピーッと完成を告げた。美しく重なる二つの音。なんなんだ、この無意味な偶然は。照れちゃうよ。

男のマシンの側にストローやフタの棚があったため、その後しばらく、二人の男が言葉もかわさず気をつかいあって、互いの位置どりを模索することに。気まずさと照れくささの混じりあった奇妙な空間。あたふたした。

こういうの、奇跡の浪費だよなと思う。運命のむだづかい。へんなところで偶然の出会いを演出するな。

世界の運命の総量が一定だとすれば、このせいで結ばれなかったカップルとか出てくるんだろうな。あと一本バスがちがっていたら出会えたはずの二人が、とくに出会うこともなく、二人の人生が重なりあうこともなく、淡々とそのまま続いていく。かわりにコンビニの店内で奇跡のように重なりあう電子音。ごめんよ。彼とはその後何もなかったよ。

ひさしぶりのレジ袋

午前六時起床。快晴。昼に外出。コンビニにアイスコーヒーとミニようかんを買いに行く。まだ日ざしが強い。セミの声一切きこえず。とうとういなくなったのか。この夏最後のセミの声をその時点で判断することは不可能だ。後にならないと分からない。

手ぶらでコンビニ到着。アイスコーヒーは手持ちでいいし、ミニようかんはポケットに入れればいいと考えていた。しかし店内で食品に囲まれ、さらなる食欲がわいてきたため、アメリカンドッグとポケチキのプレーンを一緒に購入。

このすべてをむきだしのまま持ち帰るのは大変だし、なによりバカみたいなので、ひさしぶりにレジ袋を購入。3円。吹けば飛ぶような値段。ひさしぶりのレジ袋はなんだか記憶しているよりもペラペラだった。布製の買い物袋に慣れたからか。こんなに薄くて軽い子だったのか。

帰宅。6個のポケチキを食べ、アメリカンドッグを食べ、アイスコーヒーを飲んだところで、完全に満足する。ミニようかんが完全に余分だったが、フォルムがよいので許した。つるんとしたきれいな直方体には弱いんだ。

雑念日記更新

ジモコロで連載している雑念日記が更新された。毎回、三本のコラムで合計3000字ほどになる構成。それぞれのコラムの内容は無関係だが、なんとなくバランスは考えている。ちなみに今回は、

・文字列ループのサイコ感
・あいみょんの分裂
・どうぶつビスケットで動物園を作る

の三本です。

この紹介のしかた、サザエさんみたいだよな、と毎回思う。タイトルを三つ並べるとサザエさんだと感じるように幼少期から刷り込まれているのか。「さーて、来週のサザエさんは!」と切り出してみたくなる。

もっとも、サザエさんに「文字列ループのサイコ感」なんて回はありえないが。あれば屈指の珍回になる。「あいみょんの分裂」もありえない。「どうぶつビスケットで動物園を作る」はギリギリいけるかもしれない。カツオにそそのかしてもらって、タラちゃん、イクラちゃんあたりに奮闘してもらえれば。

午後にすこし散歩。近所のゴミ捨て場の掲示板に、毛筆で太く荒々しく、「火曜日、容器包装・プラ」と殴り書きされていた。守らねえとただじゃおかねえ、という凄みが感じられた。文字には呪術的な支配力があることを思い出した。古代の記憶だ。

・月曜日・木曜日、燃やせるごみ
・火曜日、容器包装プラ
・第三金曜日、燃やせないごみ

さすがにサザエさんにはならんな。万能ではなかった。

雑念日記:あいみょんの分裂 他2本

初期の台風クラブ

午前二時起床。夜型生活を突き抜けて朝型生活に移行しはじめた。しかし、こうして起床時間を書いていると、こいつどんな生活してんだよ、となるな。毎日すこしずつ起床時間が後ろにずれているだけで、体感としては淡々と安定したリズムではあるのだが。

ひさしぶりに日中に外に出ると、日ざしがきつく、セミの鳴き声がきこえた。半そでで汗だく。ほんとに九月半ばか?

台風クラブ『初期の台風クラブ』をきいた。2017年リリースのファーストアルバム。はじめてきいた時、これは絶対に京都のバンドだと感じて、調べてみると実際に京都で結成されたバンドだった。この京都感というか、京都の大学生感は、くるりの一枚目を思い出すな。共通しているのは、ぶっきらぼうな叙情性か。