真顔日記

上田啓太のブログ

aikoとゴリラの雪どけ

ゴリラの問題は終わったと思っていた。それは過去のことだったはずだ。aikoとゴリラの綱引きは終った。私はもはやaikoとなった。それでよかったはずだ。しかし今ふたたび、ゴリラが問題としてせりあがってきている。aikoとゴリラの綱引きは終っていなかった。

だが、このブログにおける「ゴリラ」にせよ、「aiko」にせよ、非常に特殊な用語になっていることは事実だ。それは一般的な意味合いからかけ離れている。混乱を避けるためにも、まずは整理しておいたほうがよいだろう。

数年前、「aikoとゴリラの綱引き」という文を書いた。そこではaikoの勝利に終わらせた。これが当時の結論だった。「ゴリラとしてふるまえ」という社会からの要求によってゴリラのように振るまっていた男がいて(ハリボテとしてのゴリラ)、その男が自己の内側に、背の低い女としてのaikoを発見する。その発見によって、ゴリラ的なものとaiko的なものの葛藤が起こる(aikoとゴリラの綱引き)。その葛藤の果てに、自己の内側にaikoがいることを受け入れる(綱引きの終わり)。そのとき、「俺はaikoだ」という発言が生まれる。

私は、これで終りだと思っていた。あとは自己の内にあるaikoを徹底的に注視すること、掘り下げることだと思っていた。だが、その先に残り半分としてのaikoを見つける段階があり、それは、ゴリラとしてのaikoだったんじゃないか。

考えてみれば当然のことだが、実際のaiko(ミュージシャンとして活動するaiko)は、ゴリラ性を持っている。そうでなければ、二十年にわたってコンスタントに作品を発表し、全国規模のライブツアーを毎年のように行うことが可能であるはずがない。aikoの中には、背の高い女もいる。元気のない女が展開する不安定な歌詞世界を、元気のある女としての基盤が支えているのだ。

もしも精神的に不安定なだけの人間がミュージシャンをやれば、一枚か二枚のアルバムを発表したあと、長期的に休止するか、フェードアウトしてしまうだろう。巨大な反響に耐えられないからだ。その場合、メジャーな場で活動するのではなく、マイナーなところで、カルト的な人気を生むだけで終わるんじゃないか。

「aikoとゴリラの綱引き」のすこし後に、「aikoは元気な女なのか?」という文を書いた。ここで私は、aikoのなかにいる「元気な女=ゴリラ性」をないものとしたのだろう。このブログにおける「aiko」を定義するために。それは、あの時点では必要なことだったと思う。私が音源のみを熱心に聴き、ライブ映像などは観ず、インタビューや歌番組やラジオなどの発言に興味を持たなかったのも、自分の内側で研ぎ澄まされた「aiko」という概念の純粋性を保ちたいがゆえだったんだろう。

ある段階において正しいことが、次の段階では障害としてあらわれることもある。私は次の段階に進まなければならない。aikoとゴリラの綱引きに戻れば、綱がなければ、ひとりの人間のなかに、aikoとゴリラは問題なく同居する。そこに綱を用意してしまうから、綱引きがはじまる。aikoとゴリラのどちらかでなければならないという、その思い込みこそが綱であり、はじめから綱引きなどしなければよかった。aikoとゴリラは綱を引き合うべきではなく、ただ握手をすればよかったのではないか。

傷付け合う事が起きたら これ以上悲しまないように
最後まで何があっても 忘れないで
あなたと握手
aiko『あなたと握手』

私は、はじめからゴリラであり、aikoでもあったのだが、自己の内側にいるゴリラをないものとし、自己の内側にいるaikoをないものとし、そのうえで、ハリボテとしてのゴリラに身を包んでいた。それが十代後半から二十代前半の私だったんだろう。面白いのは、すでにゴリラを内在した人間が、それを存在しないものとしたうえで、ハリボテとしてのゴリラを別に用意していたことで、それは、自然な笑顔をもった人間が、それを抑制したうえで、ぎこちない作り笑顔で世の中を渡ろうとするようなものだったんだろう。

最近、「aikoさん」という用語を導入するべきではないかと考えている。このブログにおける「aiko」は、歌手aikoの歌詞世界から私の頭のなかに構築された存在である。それは歌詞における「あたし」とイコールで結びつけられ、実際のaikoは意図的に捨象されている。それに対し、「aikoさん」は歌手であり、人間であり、この世に肉体をもって実在している。そして私はaikoさんのことを、一人の作り手として、すごく尊敬している。

そうした意味で、私はaikoではあるがaikoさんではなく、しかし、aikoさんの姿勢から学ばなければならないし、aikoさんのようにありたいと思っている。それは自己の自然なゴリラ性を認めることにもなるのだろう。このとき、長く続いたaikoとゴリラの綱引きが、本当の意味で終わりを迎える。それが、aikoとゴリラの雪どけである。私はこれからもaikoを聴くだろうが、今後は同じくらいに、ゴリラも聴くんじゃないだろうか。もっとも、ゴリラは音源を一切リリースしていないんだが。