真顔日記

上田啓太のブログ

なぜ、くしゃみのあとに言葉を足すのか?

くしゃみというのは、わりと細かく制御できる。肉体の勝手な現象にみえて、あれは意外とそうではない。くしゃみの予感から実際の発動までの数秒で制御が可能であり、意識的にせよ無意識にせよ、人はくしゃみをコントロールしている。

以前私は、「へっくち!」とかわいく言えるのか試してみたことがあるんだが、普通に言えた。同時に、二度と言わないでおこうと決めた。成人男性の口から出るにはかわいすぎたからである。自分で自分のことが少し嫌いになった。くしゃみの仕方ひとつとっても、自分らしさは打撃を受けるということなんだろう。

おっさんは、くしゃみの後にチクショーと付ける。そんな話がある。「ハックション、チクショー!」というやつだ。実際に見たことはない。しかし自分の経験から、簡単なことだと予想できる。ただ、私はくしゃみの後に何も付けない。必要性を見出せないからだ。なぜ、わざわざ言葉を付けるのか? 一種のアクセサリー感覚なのか? おっさんなりの自分らしさの演出か?

先日、カフェにいたとき、近くのおっさんが豪快にくしゃみをした。その店は吹き抜けになっていて、天井が高かったため、しばらく空間にくしゃみの残響があった。

ハーーック、ショイッ!(ショイッ…ショイッ…ショイッ……)

すこしずつ小さくなっていくショイ。くしゃみにもエコーはかかるのか。そりゃそうか。あれはおしゃれだった。あれを自覚的に演出していたなら、かなりのおっさんだと言える。自分らしくあるために、くしゃみにエコーをかける。チクショーと叫ぶよりも、ずっとすごい。尊敬してしまう。しかしまあ天然だろう。

長く同居していた杉松も、くしゃみの後に言葉を足すタイプの人間だった。彼女の名誉のために言っておくならば、杉松はおっさんではないんだが。

杉松の場合、「へっくしょい!」と言ったあと、「ヒシャア!」と言っていた。ちなみに、若い頃は「フスゥ!」だったらしい。「フスゥの時代は終わったんだよ」と言っていたが、私はそんなのが一時代を築いていたことすら知らん。

なぜ、くしゃみの後に言葉を付けるのかと聞いてみたが、杉松の返答は曖昧なものだった。考えたこともなかった、という顔である。モゴモゴしていた。ひざかっくんされるような問いに出会ったとき、人はこのような口の動きをするものだ。

しばらく頭をひねったあと、杉松は言った。

「合いの手かなあ?」

疑問形で答えを出していた。自分のくしゃみに、自分で合いの手をいれるのか。それは一体どういうことだ。ハイ、ヨイショッ! ハイハイ、ヨイショッ! みたいなことか? もちつきなのか? もちつき大会なのか? いい年なのに、もちつきとくしゃみの区別がついていないのか? ますます分からなくなる。それで興奮するのか?

「知らないよ! とにかく、おさまりが悪いんだよ!」

結局、よくわからないようだった。習慣だからやっているにすぎないのだ。フスゥの時代を経て、ヒシャアに辿りついたほどの女だというのに。