真顔日記

上田啓太のブログ

アインシュタインと靴下の穴

最近、服装をちゃんとしている。身だしなみに気をつかっている。もっとも、私の「ちゃんとする」の基準はとても低く、「穴のあいた靴下をはかない」とか、そういうレベルではあるんだが。

杉松の家に長く居候したことが役に立った。だめになった靴下やパンツを捨てることを学んだ。「消耗品」という言葉をしつこく言われた。衣類は駄目になるものなのだと、定期的に買い替えるべきなのだと叩きこまれた。

靴下やパンツには穴があく。スウェットには毛玉がつく。Tシャツの襟はだるだるになる。どの衣類も時がたてば色あせる。諸行無常! そうしたことを学習していった。

もっとも、以前から色々な人に似たようなことを指摘されていた。しかし改善しなかった。耳に入っても素通りしていた。杉松に言われ続けてようやく変化が起きた。なぜあんなに変わらなかったのか、今になって思うと、当時の私がアインシュタインのことを考えていたからじゃないのか。

ちょっと文の流れが唐突すぎるが、要するに、「アインシュタインとか、たぶん靴下に穴あいてただろ」と思っていたのである。「アインシュタインは絶対セーターが毛玉だらけだったはず」というふうに。だから自分も服装に無頓着でいいのだと、アインシュタインを盾にして考えていた気がする。我が軍にはアインシュタインがいるのだ、と。

特定の物事に異常に集中していると、靴下の穴やセーターの毛玉に無頓着になる。自分はそのような人間でありたい。そんな気持ちが隠れていたんじゃないか。だから人に靴下の穴を指摘されたとき、ひそかに喜んでいたんじゃないのか。すくなくとも、それを恥とは感じていなかった。だから平然としていた。

「めんどくさい」という時、その言葉のかげに、ひっそりと自分のこだわりが隠れていることはあるものだ。私は靴下に穴があいていることにこだわっていた。あれは怠惰であると同時に、「天才科学者のコスプレ」でもあったんだろう。そもそも、アインシュタインは靴下に穴があいていたことで歴史に残ったわけではないんだが、関係なかったのか。

「リップクリームとか塗らないわりに、くちびるカサついてないんですね」

先日、友だちにそんなことを言われた。しかしその日の朝、私は普通にリップクリームを塗っていた。それくらい私だってやる。乾燥は不快だからである。勝手に勘違いされている。そのことを教えると「上田さんでもリップクリーム塗ることあるんですか!?」とおどろかれた。

以前、鏡をみながら鼻毛を切っていただけで、「色気づいちゃって」と言われたこともある。そんなとき私が繰り出す定番のツッコミがあった。先日も即座に言った。

「いやいやいや、俺を何だと思ってるんだよ!」

しかし自覚した。このツッコミの裏側で、私はまったく別のことを思っていた。

「もしかして僕のこと、天才科学者だと思ってるんですか!?」

心の副音声はそう言っていた。はじめて聞こえた。はじめて心の副音声にチャンネルが合ったのだ。ずっと流れていた。この副音声はずっと流れ続けていた。私が知らないだけだった。チャンネルを合わせればいつでも聞こえた。

だから、いつも少しテンションが上がっていたのか。「俺を何だと思ってるんだよ!」と言う瞬間、血行がよくなっていた。グッと身を乗り出していた。小鼻がふくらんでいた。その理由が判明した。喜んでいたのだ。浮かれていたのだ。自己愛を刺激されていたのだ。またひとつ天才科学者に近づいてしまったと、相手の発言にウキウキしていたのだ。しかし自分でも気づいていなかった。副音声の存在を知らなかった。小鼻のふくらみとしてだけ表現されていた。心の副音声は、小鼻をとおして主音声とつながっている。