真顔日記

上田啓太のブログ

aikoを聴きすぎると人はどうなるのか?

まとめ?(通常盤)

去年はaikoを聴き続けた一年だった。今年も聴き続けることになるのだろう。

日常的にaikoを聴いていると、世界の見え方は変わりはじめる。aikoの歌詞世界をもとにして世の中の事象を眺めるようになる。

さっきも地下鉄のホームでカップルが見つめあっているのを見て、「いやいやaikoじゃないんだから」と思った。自分のほうがおかしいのは分かっている。aikoじゃないんだからも何も、実際にあれはaikoじゃない。aikoだと認識するためのハードルが下がりすぎている。

先日、aiboに関するネットニュースを見て、反射的にaikoと読み間違えた。同じように間違えた人はけっこういるようだった。なので私のような人間はそりゃ間違える。むしろ間違えないほうがおかしい。間違えたことを誇りにすら思う。aiboとaikoを簡単に見分けられるような男にはなりたくない。そのときはヘッドホンを置いてaikoを聴くことから引退する。

ただ数日後、またニュースの見出しをざーっと見ていたとき、今度はauの二文字をaikoと見間違えて、これは自分でもどうかと思った。「a」さえありゃいいのか。さすがに誇りにも思えない。たんにボケてきてんじゃないのか。認知が心配になる。将来、なんでもaikoに見えるじじいとして死ぬ可能性が出てきた。看護婦さんに「あんたaikoかえ?」とか言ってしまう。

街を歩いている時、音楽プレイヤーも何もないのに、頭のなかをaikoの曲がずっと流れている。昨日は信号待ちをしている最中、『自転車』という曲がずーっと流れており、一人で感極まっていた。なんだか、ひとつの境地に達した感はある。剣を極めて剣を捨てることに似てきた。もはやイヤホンは不要、aikoは常に心に流れているということか。

あと、このあいだ夢にaikoが出てきて、二人でひたすら恋愛について議論していたんだが、これが一番やばいでしょ。体感として二時間ほどあった。居酒屋のようなところでひたすらaikoと恋愛論を戦わせていた。かなり白熱していた。大変だった。

だいたい、aikoと議論したとか言ってるが、夢に出てくるaikoというのはaikoの姿をとった私ですからね。自分の無意識がaikoとしてあらわれている。見かけは自分とaikoだが実際はたんなる自分と自分なわけで、「そうは言いますけどねaikoさん!」とかハイボール片手に興奮ぎみで言っていたが、そのaikoさんはおまえだ。

aikoを聴き続けることは自分の心の中にaikoを作り出すことで、そうして生まれたaikoをメディア等に登場する実際のaikoに投影することでもあるのだが、もちろん実際のaikoは頭の中のaikoとはズレている。そして面白いのは、このモチーフ自体がまさにaiko的だということだろう。こうしてaikoを聴くという行為自体がaiko的世界に吸収され、円環は閉じられる。

しかしまあ、とりあえず夢のなかでの議論は完全な一人相撲だったと思う。あれはひどかった。あそこまでの一人相撲は珍しかった。恥ずかしくなるほどの一人相撲。あ、「ひとりずもう」って書くとaikoの曲にありそう。