真顔日記

上田啓太のブログ

プリクラで美化される顔面について

いつのまにか、写真は美化されて当然になっている。あれはなんなんだろう。プリクラにしろ、スマホのカメラアプリにしろ、顔面をみごとに美化してくれる。人々は美化された画像を堂々と公開している。そこに後ろめたさもなさそうだ。

私は写真を撮られることが好きではない。長く同居していた杉松もそうだった。そんな二人で暮らしていると、写真を撮る機会は一切おとずれない。われわれを置き去りにして時代は美化のテクノロジーを発展させていった。

われわれはネットで人間の美化された顔を見るたびに話し合っていた。これは何なのか。いったい何が起きているのか。日常的にこういうことをしている人間のアイデンティティはどうなるのか。画像と実物のギャップで自己同一性が崩壊したりしないのか!

ある時、二人で二条のシネコンに行った。映画を観たあと、エスカレーターを降りるとゲームセンターがあった。プリクラコーナーと書いてある。われわれは目を合わせ、二人で乗り込んだ。いまこそ美化の実際を知るときだと考えたのである。

まず、いざボックスに入るとはしゃぐ。キャッキャする。硬貨を半分ずつ投入する。撮影がはじまる。次々とシャッターを切られる。しばらく待つとプリクラが落ちてきた。そこに映った自分たちの顔を見た。きっちりと美化されていた。向こうが「なるほど」と言った。私も「なるほど」と言った。

「なるほどなあ」
「なるほどだね」
「完全になるほどだよ」
「本当になるほどだ」

われわれは「まんざらでもない」の見本みたいな態度になっていた。撮影前は、アイデンティティが、自己同一性がと言っていたのに、撮影後は二人とも「なるほど」しか言ってない。実際に美化された自分の顔面を見てしまうと、小理屈など吹き飛ぶのだ。

美化とは具体的になにか。肌に強く光が当たっている。細かいしわはすべて存在しないことになっている。唇は赤ん坊のような桃色になっている。目が大きく加工されている。感覚としては十年ほど若返った気分だ。大学生の自分がいると思った。

これは要するに、機械にお世辞を言われているようなものなんだが、唐突にオバチャン口調を使わせてもらうと、アラお世辞でも嬉しいわ、と思った。アタシこんなに目おっきくないわよぉ、とも。

われわれは帰ることにした。市バスに揺られながら、プリクラを見てはカバンに戻し、しばらくしてまた取り出すことを繰り返した。プリクラのおかわりが止まらない。片付けてもすぐに見てしまう。やがて最寄りのバス停に到着した。われわれはまんざらでもない顔のまま下車した。まんざらでもない顔の大人、運賃230円。