真顔日記

上田啓太のブログ

日常と動物

大学生のとき、馬が構内を歩いているのを見たことがある。大学に馬術部があったからだろう。人が乗っており、ゆっくりと歩いていた。あれは面白い光景だった。動物というのは写真やイラストで見ることが多いから、実物を見るとそのサイズ感におどろく。馬はものすごく大きかった。

カフカの短編、というか生前は発表されなかった断片的な草稿のなかに、街に唐突に白馬があらわれる話があるんだが、それを思い出した。しかしカフカを読んでいると、まだ馬車の時代だから、馬という存在に対する感覚が現代とちがうように感じる。ものすごく頻繁に馬が出てくる印象だ。日常にあんな巨大な動物がうろうろしていたというのは、いまでは想像がつかない。

現代都市はヒトより大きな動物を日常から放り出したのか。都市の日常にイヌネコより大きな動物はおらん。馬も牛も街にはおらん。そのかわり自動車ばかり走っているのが現代だ。巨大な生き物が歩いているだけで現実感は歪む。私は路上をカバが歩いている光景を見てみたい。数年前、近所で祭りがあって路上をウシが歩いていたが、あれはすごく良かった。大量によだれを垂らしていた。

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自動車ということばで思い出したことがある。ネコを飼いはじめる前、同居人とふたりで、目に入った自動車をすべてネコとして扱う遊びをしていた。よっぽどネコを飼いたかったんだろう。提案したのは私だが、それは近所のスーパーまで歩くたび、同居人が「ネコいるかな、ネコいるかな」とうるさかったからである。大抵いない。五分ほどの道のりだからだ。なので「じゃあ車をネコと思うことにすればいい」とルール設定したのだった。

現実にネコがいないなら、ネコの定義を変えてしまえばいい。「自動車=ネコ」の方程式さえ飲み込んでしまえば、現実は思い通りになる。これが認識の魔法である。スーパーまでの五分の道のりで、車は十台以上見ることができる。人の家に停まっている。大通りを走っている。それをすべてネコだと思ってみる。ネコが停車している。ネコが走っている。ネコがゴロゴロとエンジン音を立てている。夜道にネコのヘッドライトが光る。ネコのワイパーが揺れる(ひげ)。

この遊びは一度で廃れた。私は早急に飽きたし、女性も「自分をだませない」と言った。「ネコじゃなくて車だもん」とのことである。「俺もそう思う」と言っておいた。そう簡単に認識をかえられてたまるか。