真顔日記

上田啓太のブログ

『るろうに剣心』なら剣心より斎藤である

『るろうに剣心』は週刊少年ジャンプで1994年から1999年にかけて連載された。作者は和月伸宏。明治初期を舞台にしている。アニメ化もされた大ヒット作。最近、実写化で再ブームも起きた。略称は「るろ剣」。

という、いかにもウィキペディア的な記述はこのへんにして、私が好きなキャラは斎藤一である。連載で読んでいた中学時代からそうだった。中学生男子という生き物は斎藤に憧れるのだ。周囲の友達を見ていてもそうだった。みんな斎藤であり、主人公の剣心ではなかった。

参考のために画像を載せておこう。見た目だけでも、中学生男子が剣心より斉藤を好みそうなのは分かるんじゃないか。

るろうに剣心―明治剣客浪漫譚 完全版 (01) (ジャンプ・コミックス)
緋村剣心

るろうに剣心―明治剣客浪漫譚 (06) (ジャンプ・コミックス)
斎藤一

以下に理由を述べる。

第一に、剣心というのは主人公であり、中学生男子という生き物は「ジャンプマンガの主人公」という立ち位置に満足できるほど明るい存在ではない。第二に、剣心には「恋愛」という要素があり、これも中学生男子には気にくわない。もっと言やあ照れくさいわけだ。この作品ではヒロインである薫との心理的なやりとりが丹念に書き込まれるんだが、そのたびに私は「そういうのいいんだよ」と思っていた。

第三に、この男は油断すると「おろ~」と言う。薫にドツかれて「おろ~」、通行人にドツかれて「おろ~」、ヒロインにサブキャラに通行人、あらゆる人間にドツかれて「おろ~」と言う。中学生男子にとって「おろ~」という言葉ほどダサイものはない。「おろ」の二文字だけでもダサイのに、そこにニョロニョロまでついてくるんだから絶対にダメだろう。この一点だけでも、我々は剣心に憧れられない。

むろん反論は考えられる。

剣心には「キレると人斬り抜刀斎の人格が出てしまう」という設定がある。これは中学生男子の心をくすぐる。それは私も認めよう。一人称が「拙者」から「俺」に変わるのも良い。とにかく中学生男子というのはキレて別の人格を出したいんだから、キレたら一人称が変わるタイプの存在でありたいんだから、ここは剣心に加点される。

しかしそれならば、斎藤にも「温厚な警官、藤田五郎」という表の顔があるのだ。普段は物静かで丁寧な口調なのである。しかも斎藤は「おろ~」と言わない。剣心と斉藤を分かつもの、それは「おろ~」の有無である。

これを抽象化するならば、「コミカルさの有無」と言える。コミカルであるというのは親近感を持つことができるということで、周囲の人間にカワイイ一面を見せるということである。これはむろん、中学生男子には耐えがたいことである。斎藤は一貫してかわいさから遠いところにいる。その姿が中学生男子の心をつかむのだ。

るろうに剣心―明治剣客浪漫譚 (08) (ジャンプ・コミックス)

四乃森蒼紫

四乃森蒼紫(しのもりあおし)というキャラクターもいた。これも斎藤に次ぐ憧れを集めていた。憧れるならば斎藤か蒼紫、これが我々(友だち数人)の意見であった。

物語中盤、蒼紫はダークサイドに落ちる。剣心を倒すためならば昔の仲間にも平気で手をかける状態になるのである。作中ではこれが「修羅に落ちた」と表現され、もちろん悪いこととして描かれるんだが、当時の私は「最高じゃん」と思っていた。「修羅に落ちるとか最高じゃん」ということである。

中学生男子とは「落ちたい」生き物なのであり、落ちた先が「修羅」ならば、こんなに素敵なことはない。クラスメイトや教師から「あいつは修羅に落ちてしまった」と言われたならば、それは完全に誉め言葉である。通信簿に「二学期は修羅に落ちてしまいましたね」と書かれたいのである。それに蒼紫も「おろ~」と言わない。

しかし、斎藤と蒼紫では斎藤に軍配があがる。蒼紫にはあくまで仲間を想う要素があり、結局は修羅にも落ちなかったからである。 

るろうに剣心完全版 13―明治剣客浪漫譚 (ジャンプコミックス)

瀬田宗次郎

読んでいて思い出したのは瀬田宗次郎である。

これも憧れ度数の高い存在だった。「異常に強いのにニコニコしている」というのも中学生男子の妄想にフィットするからだ。しかしいま読むとこの男の初登場シーンにおける説明、「宗次郎は喜怒哀楽のうち「楽」以外の感情が欠落している」という一文には爆笑してしまう。中二病という言葉の爆発的流行を通過した現在、ここまであからさまな説明には笑ってしまうだろう。

しかし中学生男子は感情を欠落させたい生き物なのだから、やはりこいつもカッコイイ。だがこの男は最終的にトラウマに回収されてしまう。感情の欠落は見せかけで、実際は幼少期の辛い体験によって感情を封じ込めていたと説明されるのである。これは失点である。剣心に敗北した宗次郎は由美という女に膝まくらされて「太もも気持ちいい」とか言い出し、我々(友だち数人)は宗次郎ブランドの終焉を知った。

よって、宗次郎よりも斎藤である。

斎藤一こそがナンバーワン憧れ男子である。

要するに、中学生男子というのは、第一に女と距離があること、第二にコミカルでないこと、第三に感情が欠落していることを憧れの条件としている。逆に言えば、中学生男子は女に興味を持ってしまうし、呼吸するだけでコミカルだし、感情に振り回されてばかりの生き物ということなんだろう。だからこそ、そのすべてを克服した男、斎藤一に憧れるのである。

よって、『るろうに剣心』なら剣心より斎藤である。おわり。