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真顔日記

上田啓太がいろいろ書くブログ

プリッツのローストが砂糖まみれになっていた

日々と思考

江崎グリコ プリッツ ロースト 62g×10個

プリッツのローストを子供の頃から愛好していた。しかし今日、久しぶりに買ってみたら砂糖でコーティングされていた。プリッツの棒の全身がまんべんなく砂糖だらけだった。箱には「シュガーコート」と得意気に書かれていた。本当にショックだった。もはや別の棒じゃないか。

なぜローストの名を残したまま砂糖などまぶしたのか。砂糖をまぶすならローストの名は外すべきだし、ローストの名を残すなら砂糖をまぶしてはいけない。二択、ここは絶対に二択だ。どちらかを切り捨てなくてはならない。砂糖をまぶしておいてローストの名を残しちゃいけない!

久々に再会した棒が砂糖まみれになっている悲しさ。あの頃のローストはもういない。私はそっけない味のローストが好きだった。塩まみれのサラダ味とも良いコンビだった。饒舌なサラダと寡黙なロースト。私はその両方を気分によって買い分けていた。そしてどちらかといえばローストを手に取ることが多かった。これが時代の流れというものか。しかしサラダはサラダのままじゃないか。どうしてローストだけが、お前だけが変わらなきゃいけなかった!

嘆く私のところに、サラダ味がやってくる。

「おまえは今頃ノコノコとやってきて何を言っているのか。ローストの売上が下がりはじめた時、おまえはトッポを食べていた。いよいよローストが砂糖まみれになることを決めた時、おまえはじゃがりこに夢中だった。なのに気まぐれなノスタルジーに襲われて数年ぶりに手にとって、それが砂糖まみれで泣いている。そんな調子のいい涙に説得力は皆無。おまえは買い続けるべきだった。ローストを買い支えるべきだった。おまえに砂糖まみれのローストを批判する資格はない」

私は、プリッツサラダ味に説教されるかもしれない。

しかし、私は身体が塩まみれのやつに説教なんかされたくない。塩まみれで説教して説得力のある存在など一人もいない。塩まみれの上司、塩まみれの和尚、塩まみれの占い師、どれも等しく馬鹿である。雑誌にあふれる人生相談も身体が塩まみれのやつが答えていればだいなしだろう。塩まみれのリリー・フランキーに恋愛相談する馬鹿がどこにいる。しかもプリッツは棒だ。塩まみれの棒に説教されてたまるか!

「だが、俺は塩まみれの棒であることを誇りに生きている。生き馬の目をぬく菓子業界を塩まみれで生き延びるというのが俺の覚悟だ。おまえから見れば単なる塩まみれの棒かもしれんが、俺はそんな揶揄に動じることはない。この身体で厳しい競争を生き抜いてきた自負があるからだ。さまざまな棒が陳列棚で俺のとなりに並んできた。ハチミツを塗られた棒もいた。えびしおなんて名前の馬鹿もいた。みな脱落して消えていった。盟友ローストが砂糖まみれになることを決めた時、俺は静かにうなずいただけだった。そこには生き延びた俺たちにだけ理解できる無言の交流があったのだ」

サラダ味は説教を続けるかもしれない。

しかし私が思うのは「この棒しゃべりすぎだろ」ということだけである。

塩まみれの棒に半生を語られても困る。

私はローストが砂糖まみれになったことを嘆いたばかりに塩まみれの棒に説教された。というか、塩まみれの棒に仮託した自分の別人格に説教された。妙なものに憑依するからこうなる。塩まみれの棒には水をぶっかけてやればよい。

ふやけろ。