真顔日記

上田啓太のブログ

「美人」は客観的な表現だと思っている

美人という言葉について。

ある女が美人かどうかは自分の判断では決められず、周囲の評価によって決められる。自分にとってその顔が好きかどうかは別に関係がない。「好きな顔」と「美人」はずれている。「好き」は個人的な基準で、「美人」は客観的な基準である。

なので私は、「この社会においてこの人は美人と呼ばれる外見をしている」という意味合いで、「〇〇さんは美人だ」と言うことが多い。女でも「イケメン」という言葉を客観的なニュアンスで使っている人をたまに見る。「〇〇君はイケメンだね」というとき、そこに好意が含まれていない感じ。すこし距離のある口調で言っている。

もちろん、好意まるだしでイケメンという言葉を使う場合もあり、それは美人も同じ。「すげえ美人だよなあ!」と鼻息荒く言われることもある。その場合、「美人」と「好き」は分離していない。あくまで私の場合は、「美人」と「好き」にけっこう距離があるということだ。

この距離に無自覚だから、妙なことも起こる。

フリーターだった頃、バイト先の休憩室で年下の女子と二人で話していた。名前は仮に七瀬さんとしておく。いわゆる「きれいな子」だった。雑談の流れでテレビの話題になったとき、その子が「わたしは女芸人になりたい」と言い出した。

テレビで女芸人がジャニーズのナントカ君とキスしていて、私も女芸人になればキスできるかもしれないと思ったという。しかし私は、女芸人はブサイクという外見を売りにしているからジャニーズとのキスが笑いになるんだし、顔がきれいじゃ成立しないだろうと思った。なので言った。

「いや無理でしょ、七瀬さん、すごい美人だから」

そしたら明らかに変な空気になり、しばしの沈黙のあと、「も~なに言ってるんですか~! やめてくださいよ~!」と言われた。この時、しばらく相手の反応の意味がわからなかった。事実を指摘しただけなのに、なんで変な空気になるんだと。

これなんか、美人という言葉の扱いがおかしくなってしまった例だと思う。自分のなかで、「東京生まれ」とか、「身長160センチ」とか、「髪型はショート」のような、とくに議論の余地のないものとして「美人」という属性があり、主観と無関係だからこそ、平気で本人に指摘してしまえる。

「わたし、関西弁を完璧にマスターしたいんですよ」
「無理でしょ、七瀬さん、東京生まれなんだから」
「も~なに言ってるんですか~! やめてくださいよ~!」

感覚としてはこんな感じ。まさにディスコミュニケーション。ポカーンとする。

そしてしばらくしてから、自分が同僚をド直球に口説いた形になったことにようやく気づいて、私は時間差で汗を出していた。俺、ものすごいこと言ってんじゃん、と思っていた。あたりさわりのない雑談かと思ったら、何の脈絡もなしに唐突に口説きはじめている。そりゃ会話の流れも乱れる。

しかも無自覚だから、相手のほうをまっすぐに見つめたまま、何の照れもなく口にしていた。そのまま手を握りはじめそうな勢い。イタリア人である。塩顔のイタリア人。その塩はきっとシチリアの塩。