真顔日記

上田啓太のブログ

物語に向かない遺伝子

自分に父親の血が流れていることを実感している。二十五歳あたりから意識しはじめた。それ以前は気楽なものだった。遺伝子をナメていたと言ってもいい。自分はたいして親の影響は受けずに勝手に成長したと思っていた。しかし今、ふっと鏡を見ると、父親に似た顔の男が映っている。

数年前、両親が京都に出てきて、いっしょに食事をした。レストランに行く途中、小道から車が飛び出してきて、父親が反射的にパッとよけた。そのときの車をかわす動きがどこかで見たことのあるもので、なにかと思えば自分の動きにそっくりだった。そのことに愕然とした。

私は忍者の家系ではないから、幼少期に父親から車をかわす手ほどきを受けたわけではない。こんなものは親から習うわけじゃなく、反射的にかわすだけだろう。なのにその動きが似ている。これが遺伝子の力じゃなくて何なのか。

私には、驚くと亀のように首がニュッと伸びる習性がある。これ自体は長いこと自覚していた。しかし数年前気づいたのは、父親も伸びているし、弟も伸びていることだった。「えっ!?」と言った瞬間の首の伸ばしかたが、私も弟も父親も、本当によく似ている。

実家で食卓を囲んだ時、母親がなにか驚くようなことを言うと、三人の首が同時にニュッと伸びる。「えっ」でハモりながら、首の動きでもハーモニー。一人の女と三匹の亀。それがこの家の実情である。

これも遺伝的なものなんだろう。私が幼少期を別の家庭で過ごしていても、この首をニュッと伸ばす癖は発現していたということだ。「遺伝子の引力」とでも呼ぶべきだろうか。

物語でよくある「呪われた血」というのは、一種の遺伝モノだろう。暴力的な父親の影響から逃れようとするのに、自分の中にも抑えがたい暴力への欲求があると気づく、なんていう話である。

「俺の中にもあいつの血が、あの暴力的な父親の血が流れているんだ……」

主人公は葛藤する。そんな話はありそうだ。となると、私も遺伝子の引力から逃れられない男ということになるんだが、「抑えがたい暴力への欲求」と比べたときの、「おどろくと亀のように首が伸びる」の地味さはなんなのか。

私の父親は研究職で、髪をちゃんと切らない人間だから、母親にたまに切ってもらって済ませていた。もちろん服にも無頓着だ。十代のころはそれが嫌で、俺は絶対にこんなふうにならないと思い、がんばって美容院に行っていた。服も自分で買っていた。遺伝子の引力から逃れるために。

しかし三十歳をすぎた今、「アタッチメント付きのバリカンを使えば美容院に行かなくてすむのだ」と自慢げに言っている自分を発見する。こんなところにも引力がある。しかしやはり、物語には向かない。

「代々、髪型と服装に無頓着な上田一族。父親の引力に抵抗し、血の呪縛から解き放たれんとする上田(息子)は、月に一度の美容院をみずからに義務づけるが、ふとした拍子に、鏡の前でバリカンを手にしている自分を発見する……」

やはり、アホらしいですね。

「発見する……」じゃねえよ。

「……」じゃねえよ。

余韻、残してんじゃねえよ。

そう思ってしまう。その余韻には酔えません。