真顔日記

上田啓太のブログ

歯ぎしりの記憶とイビキの現在

歯ぎしりという現象の存在を、いつ知ったか。

私は明確に覚えている。小学校低学年の頃である。父親の歯ぎしりをカエルの鳴き声だと勘違いして異常に怯えていたからである。当時、われわれの家族は小さなアパートに住んでいた。居間と寝室、それに子供部屋。それぞれがふすまで仕切られていた。家族四人で暮らすには小さなアパートだった。

ある日、夜の早いうちから父親が寝室で眠っていた。私と母親と弟は居間にいた。このとき、ギコココッ…ギコココッ…という音が聴こえてきた。それは、祖母の家の裏の田んぼから聞こえてくるカエルの鳴き声と完全に一致していた。私はむこうの部屋にカエルがいると思い、母親に伝えた。切迫感があったと思う。家にカエルがいるんだから。

母親は笑って、「あれは歯ぎしりというのよ」と答えた。しかし私は信じなかった。歯ぎしりの仕組みも説明されたが、この女は適当なことを言っていると思った。自分で歯をギリギリやってみても、そんな音は鳴らなかったし。

おそるおそる寝室に入っていくと音は消えた。これは単なる偶然なんだが、私はカエルが気配を察知して鳴くのをやめたと思っていた。寝室をどれだけ探してもカエルは見つからなかった。それでもしばらくの間、歯ぎしりという現象を信じなかった。母親に粘り強く説明されたことを覚えている。

いまでは私も歯ぎしりがあるらしい。同居人に指摘される。いっぽうの同居人に歯ぎしりはないが、たまにイビキをかいている。その場合、私は同居人の頭蓋骨を持ち上げて、枕との位置関係をかえる。するとおさまる。イビキが消える瞬間の「フスッ」という音は面白く、頭蓋骨を持ち上げた甲斐があったと思わされる。あれはイビキの断末魔である。

私も同居人に、俺がイビキをかいているのを見つけたら頭蓋骨を持ち上げてくれと頼んでいるが、実際にやってくれているのかは知らない。熟睡しているので。

「頭蓋骨って言い方やめて」

そう言われただけである。

数年前、同居人が私のイビキを携帯で録音していたことがあった。「こんなだよ!」と言っていた。スゴォー、スゴォーという自分のイビキを聞かされた。まったく、この女に小型の機械を持たせちゃいけない。こんな使い方しかしないんだから。

ある日の早朝、小部屋で椎名林檎の『丸の内サディスティック』を歌っていたら、こっそり録音されていたこともある。あれも後から聞かされた。「寝起きでコレ聞かされる身になってみて」と再生された。録音された私の丸の内サディスティックは自己イメージの五倍は音が外れていた。あと裏声が腹立つ。

私は自己の椎名林檎化に成功していると思っていたが、お世辞にも成功とは言えなかった。こんな汚い裏声の奴に「ここでキスして」と言われても、絶対にキスしたくない。むしろ往復ビンタからの、みぞおちへの正拳突きである。

「朝から歌うのやめてね」と同居人は言った。

「ここ丸の内じゃなくて京都だし」

サディスティックである。