真顔日記

上田啓太のブログ

マンガのセリフだけが有名になるのは問題だと思う

これだけ情報の流通する社会になると、見たことがないのに知っているものはどんどん増えていく。それはマンガやアニメも同じで、作品そのものにはふれていないのに名場面や名ゼリフだけ認知しているものが非常に多い。これは問題なんじゃないだろうか。

というのも、以前、あだち充の『タッチ』を読んだんだが、すでに色々な情報が頭にあったものだから、私は「名場面待ち」の意識になっていたのである。具体的には和也が死んだときの以下のセリフ。

「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜそれで」

このセリフが来るのを待ち構えながら読んでいた。第一話の時点でこのセリフがいつ出るのかばかり気にしていた。みもふたもない言い方をしてしまえば、「はやく和也が死ぬところを見たい!」と思っていた。ひどい欲望である。

そして読んだことのある方はご存知だろうが、和也はすぐに死ぬわけではない。序盤はピンピンしている。元気に野球をしている。私はじれながら思っていた。

「和也しぶとすぎる」

バイオハザードのゾンビみたいな扱いである。

もちろん作者は先の展開を知られていると思っていないから、丁寧に話を進めていくわけだが、私は名場面に意識が向いているから、頭に鳴り響いている声は、

「はやくきれいな顔で死んでくれよ!」

非人情である。

そして実際に和也が死んで、「きれいな顔してるだろ」のくだりを見ることができ、非常に満足したわけだが、こんなもんマンガの読み方として完全に間違ってんだろ、ということである。

考えてみれば、私は『あしたのジョー』を読んだことはないが、ジョーが燃え尽きて真っ白になることは知っている。どういう流れかは知らない。とにかく真っ白になるらしい。『フランダースの犬』もみたことはないが、主人公がルーベンスの絵の前で死ぬことだけは知っている。「僕、なんだか眠くなってきたよ……」と言うらしい。上空から天使が降りてくるらしい。

『アルプスの少女ハイジ』なら、クララが立つことだけ知っている。クララ、立つ。ひどいネタバレである。ちなみにクララという女はいくじなしらしい。「クララの馬鹿! もう知らない!」らしい。伝聞、伝聞である。

私は『スラムダンク』という漫画が好きで、何度も読み返しているんだが、考えてみると、このマンガも「安西先生、バスケがしたいです」だけが妙に有名になっていやしないか。未読の人にとっちゃ、あのセリフが即座に連想されるんじゃないか。

和也が死ぬ場面を期待しながら読むように、「バスケがしたいです」に気をとられながらスラムダンクを読む人もいるかもしれない。「どいつがバスケしたいって言うんだろ?」と思いながら読み進めるわけである。

これは最悪である。安西先生が登場したら「あっ、この人!」である。三井が出てきたら、「あっ、バスケしたがるやつ!」である。ようやくあのセリフを聞けるのかと大興奮である。

そうなると、三井が体育館で暴れているあいだは、「ぜんぜん言わないじゃん」である。「和也ぜんぜん死なないじゃん」と思った私のように、「三井ぜんぜんバスケしたがらないじゃん」である。とにかく名言を聞きたいものだから、読みながらも心ここにあらずで、三井の不良仲間がモップを振り回しているときも、木暮が三井の怪我の記憶を語りはじめたときも、イライラしながら、

「はやくバスケしたがれよ!」

非人情というか、馬鹿である。

そして、ようやく三井が安西先生の前で泣きくずれ、「バスケがしたいです……」と言ったとき、「そう、これが見たかった!」となるのかもしれんが、こんな読みかたじゃマトモに物語を楽しめないだろう、ということだ。

最後に、今回の話とは関係ないが、タッチの浅倉南という女は苦手である。あれをいいという男がいるのは信じられない。「南を甲子園につれてって」とか言われても絶対に連れていきたくない。ヤフオクドームとかに連れていく。