真顔日記

上田啓太のブログ

マクドナルドのむきだしのポジティブに照れる

昔、マクドナルドで妙なキャンペーンをしていたことがあった。

それぞれの店員の名札に紙がくっついており、「私がマクドナルドで見つけたもの」と書かれている。それぞれの店員の手書きの文字で「仲間を思いやる気持ち!」とか、「お客様の笑顔!」と書いてある。「いっしょうけんめい頑張ること!」とか「まごころ」とか。

これに私は赤面したというか、「いや、まあ、いいんだけど……」としか言いようのない気持ちになった。「いや、うん、いいんだけど、いいんだけどさ……」と。

バイトを通じて仲間を思いやる気持ちを手に入れる。良い。客の笑顔を見ると自分も嬉しくなる。なにひとつ問題ない。しかしやはり、ここまであからさまに、むきだしの、怒張したポジティブを見せつけられると、ちょっと照れる。

夏目漱石がアイラブユーを「今夜は月がきれいですね」と訳したなんて逸話があるが、ここは私も漱石に同意したい。どんなに前向きで素晴らしい言葉だろうとすこしは表現を迂回させてほしい。

たとえば、下品とされる言葉は自然と表現を迂回させる。ウンコやチンコと書かずにウ〇コやチ〇コと書くなんてのはよく見かけることだ。糞尿や性器に関しては、露骨に書くことはやめましょうというコンセンサスができあがっているように思われる。しかしポジティブに関してはそのような同意はないようで、結果として出てくるのが、先に挙げたマクドナルドのような、むきだしのポジティブなのである。

私の感覚では、店員の胸元に手書きで「お客さまの笑顔!」とか「まごころ」と書いてあるなど、「ギンギンのオチンチン!」とか「きんたま」と書かれているようなものだと思うんだが、そう言って同意してくれる人が果たしてどれだけいるのか。

たぶん、私という存在は度を過ぎたポジティブに乙女のような反応を示してしまうということなんだろう(実際は三十すぎの男なんだが)。胸元に飾られた手書きのポジティブは、私を「きゃっ」とさせる。顔文字で言うならば、

(*>_<*) 

だから、私という乙女にとっては、ロングコートを着た変態がバッと前を開けたとき、そこに怒張した性器があるよりも「仲間を思いやる気持ち」と書いてあったほうが恥ずかしいということだ。

あまりにも生々しいポジティブを見せつけられた私は叫び声をあげ、急いで交番に駆け込み、「あそこで変態にあいました! コートの下にすごいこと書いてあったんです!」と言うんだが、警官の態度は冷たく、「なんだ? 文字が書いてあっただけか?」と言い放つ。

「ただの文字じゃないんです! すっごいポジティブで……」

「いいじゃないか、素敵じゃないか、ポジティブな言葉なら」

「でも、むきだしなんですよ……」

「何が駄目なのか分からんなあ?」

「じゃあ、もういいです」

「いやいや待ちなさい。具体的にどんな言葉だったんだね?」

「そんなの言えませんよ!」

「なんで言えないんだ? 具体的に言ってもらわんと、こっちとしても分からんだろう」

「だって恥ずかしいですよ、そんなの!」

「いいから言いなさい、そんなに赤くなってないで」

「仲間を思いやる気持ち、って書いてありました……」

「ほう! 仲間を思いやる気持ちねえ? いい言葉じゃないか! じゃあ、一応調書を作るから、ここに『仲間を思いやる気持ち』って書いてもらえるかね?」

「えっ、書くんですか!?」

「当り前だろう、ほら書きなさい! 早く!」

というふうに、私は路上で変態にポジティブを見せつけられたあげく、警官から無自覚な二次被害まで受けるはめになる。

そんな私に、ある時恋人ができる。彼は綾野君という名前で、高校のクラスメイト。体温が低そうな顔立ちに切れ長の目。背は高い。女子に人気があるのだけれど、本人はそんなこと気づいてもいなさそうだ。笑っているのを見たことがない。

他のクラスメイトたちはみんなポジティブで、油断するとピースサインの先端を合わせて輪っかをつくろうとするし、集合写真ではみんなで手をつないで大きくジャンプする。綾野君はそんな時もすみっこのほうで居心地が悪そうに突っ立っていて、でもそんな姿がみじめにならず、かっこうよかった。そう、私は綾野君にあこがれていたのだ。だから綾野君と付き合うことになった時、本当におどろいたのだ。

どうして自分なのかとたずねる私に、綾野君は言った。

「なんか、体温が似てるから」

はじめて綾野君の笑顔を見た。

「いつも平熱ってかんじだろ」

私たちは、いつも二人でいるようになった。それは心地よい時間だった。二人で撮る写真にはピースサインも大げさな笑顔もなく、ただ静かな幸福だけがあった。深く話すようになると綾野君にも悩みがあり葛藤があった。綾野君は私の思うクールで完璧な男子ではなかった。ふつうに迷い、ふつうに悩む、十六歳の男の子だった。それが私には嬉しかった。

私たちは、はじめて手をつなぐのに三ヶ月もかかった。その手はひんやりしていた。むきだしのポジティブにまみれた明るい教室の中で、私と綾野君は自分たちを守るための静かな世界を作っていた。私はこの人とならうまくやれると思っていた。きっとこのまま穏やかな日々が続くと思っていた。

綾野君の部屋に呼ばれるまでは。

私たちは、いつものように手をつないで帰っていた。綾野君は家に寄っていかないかと言った。それから照れくさそうに、今日は両親がいないと続けた。私はすこしだけ躊躇したけれど、こくりとうなずいた。綾野君の部屋は綺麗に整頓されていた。それはイメージしていたとおりの部屋だった。しかし綾野君はすこし落ち着かない様子だった。私はクッションのうえにぺたんと座った。綾野君はスマホをいじっていた。私はその顔がいつもと違うことが気になった。口数が少ない。もちろん、綾野君は普段から物静かな男の子なのだけど……。

「PVって見たことある?」

「えっ?」

「PVだよ、ポジビデオ」

もちろん知っていた。ポジティブ・ビデオ。でも知っているだけだ。見たことはない。綾野君はスマホを差し出した。その顔は妙にゆるんでいた。いやな顔、と思って、すぐに自分で否定した。そんなはずはない。

「これ」

そこには無数の男女が映っていた。全員、ニコニコとした笑顔、何の屈託もない笑顔で、手にチアガールのボンボンのようなものを付け、きびきびとしたポーズを取りながら、楽しそうに踊りを踊っていた。やがて先頭にいる男が絶叫した。

遊びにも! 仕事にも! 全力でぶつかってます!

隣の女も絶叫した。

キラキラしたッ! 毎日をッ! 送りたいッ!

一人の男がホイッスルを吹いた。3Dのように文字が飛び出した。

夢・ありがとう・日々感謝

モザイクも何もない、むきだしのポジティブ。

「すごいだろ? 無修正だぜ」

綾野君が私の肩をつかんだ。私は反射的にビクッとした。綾野君がこわい。綾野君がいつもと違う。

「なあ、お互いの顔を見つめながら、ありがとうございますって言いあおうぜ!」

恥ずかしいから嫌だと私は拒絶したが、それまでのクールさが嘘のように、綾野君は私を押し倒した。吐息を感じた。

「ありがとうございます!ありがとうございます!毎日キラキラありがとうございます!お母さんありがとうございます!お父さんありがとうございます!学校の先生ありがとうございます!クラスの仲間たちありがとうございます!大好きなおばあちゃんありがとうございます!春の小川ありがとうございます!秋の虫ありがとうございます!豊かな大地ありがとうございます!太陽の光ありがとうございます!みなさんのおかげでボクは生きています!」

綾野君は、森羅万象への感謝を述べはじめた。その顔は赤く染まっていた。血管が浮き出していた。息は荒くなっていた。目は血走っていた。私は綾野君を突き飛ばして部屋のすみに逃げると、絶叫した。

「そういうつもりで来たんじゃないから!」

しかし聞いてくれなかった。綾野君にとって、自分の部屋に呼んだ以上、ポッティング(※)をするのは普通のことだった。当然、私もそれに合意していると思っていたんだろう。

(※ポジティブなペッティング。男女が至近距離でポジティブなことを言いあう行為の総称)

私はポッティングがしたくて家に来たわけじゃない。ただ普段の帰り道のように二人でゆったり過ごせればいいと思っていただけだ。私たちの関係にポジティブはなくてもいいと思っていた。綾野君は本当にポジティブなことに興味がないと思っていた。でも綾野君にもポジ欲はあったのだ。ポッティングがしたくて私を家に誘ったのだ。ポッティング目当ての関係だったのだ。その先のこと(※)も考えていたんだろう。そのために私を呼んだんだろう。

(※ポックス)

私は綾野君の家を飛び出した。誰も私のことを理解してくれない。帰り道で泣きながら思った。理解者は一人もいないんだ。私は馬鹿だった。なんであんな人のことを好きになったんだろう。心なんて開かなければよかった。私はこの世界で、むきだしのポジティブにさらされたまま、生きていくしかないんだ。ポジ欲にまみれた人間たちの中で……。

以上です。

本日のテーマは、「マクドナルドのむきだしのポジティブに照れる」だったんですが、みなさん覚えておられるでしょうか。

ずいぶん遠いところまで来てしまいましたね。