真顔日記

上田啓太のブログ

たまごとパキシエルの等価交換

「あんたのたまご、一個もらっていい?」

三十六歳女性に言われた。料理に使いたいんだろう。「いいけどなんかくれ」と返すと、「パキシエル食べていいよ」と言われた。私は小さくガッツポーズ。

パキシエルは説明が必要だろう。チョコのアイスである。三十六歳女性はこれが好きで、冷凍庫に常備している。箱には「パキッと愛しのチョコレートバー」と書いてある。「チョコが分厚い!」とも。こういうコピーはあらためて書くとアホらしいもので、私も書き写しながらアホかと思った。「チョコが分厚い!」である。みなさんも会社や学校で元気よく口に出してみればいい。馬鹿だと思われるから。

この日以来、たまごひとつと交換でパキシエルがもらえるシステムが確立された。私は日常的にたまごを使うが、三十六歳女性は稀にしか使わない。だから不意に卵料理を作りたくなれば、パキシエルひとつを差し出すことで上田のたまごをもらう。すばらしいシステムである。誰も損していない。

われわれの交易はしばらく続いた。しかし今日、転機がおとずれた。三十六歳女性がハーゲンダッツを買っていたのである。だから三十六歳女性が台所に向かった時、私はたまごと交換でハーゲンダッツがもらえるかもしれないと期待して笑顔でヒョコヒョコついていった。交渉は決裂した。

「マジありえないね、それはありえない」

不当な取引を提示されてワナワナとふるえていた。マジ怒り前歯だった。

しかし私はあきらめなかった。ハーゲンダッツがほしかったからだ。なので論理を組み上げた。戦後まもないころはたまごが貴重だったという主張である。しかしこの説得は根幹のところに「もはや戦後ではない」という欠陥を抱えていた。私自身も戦後ではないことに気づいていたし、今が戦後でないことを指摘されれば即座に論破されると思っていた。

「戦後じゃないじゃん」

コンマ二秒で言われた。そもそも戦後まもないころにはハーゲンダッツもないし、パキシエルもない。何にもない。

たまごとパキシエルは等価交換になる。しかし、たまごとハーゲンダッツは等価交換にならない。それは納得した。それでも私はハーゲンダッツが食べたかった。ハーゲンダッツをもらうには一体何を差し出せばいいのか。

「命かなあ?」

女性は真顔で言った。いきなりそんなところに飛んでしまうのか。命と引き換えにハーゲンダッツを手に入れる自分を想像した。ハーゲンダッツを握りしめたまま、徐々に身体が薄くなっていく。ア、リ、ガ、ト、ウ……。そんな言葉を残して消失する自分を想像した。死因としてくだらなすぎる。

というか、自分で買えばいい。命と引き換えにしなくてもハーゲンダッツは食える。せいぜい三百円なんだから。私の命は三百円か。小銭で買えるものに命を捧げるな。もちろんアイスに三百円は勇気がいる。そんな生活も長い。だから私はハーゲンダッツを長いこと食べていない。三十六歳女性は食べている。富裕層(当社比)だからである。

「絶対あげないよ」

堂々と宣言された。おそるべき独占前歯。

それにしても、パキシエルの立場はどうなのか。たまご一個とニコニコ顔であっさり交換されてしまう。チョコが分厚いというのに。