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真顔日記

上田啓太がいろいろ書くブログ

スピッツの草野マサムネは年をとらないのか

日々と思考

ひさしぶりにスピッツを聴いていた。私とスピッツの付き合いは小学校からである。熱心に聴く時期もあれば離れている時期もあり、そんなこんなで二十年だ。

いまでも初めての出会いは覚えている。小5の時、クラスメイトの女子が「あたし最近スピッツ好き」と言っていた。私は当時スピッツを知らず、しかしスマップは知っていたので、「うわっ、スマップの名前まちがえてる!」と思い、反射的に「いやスマップでしょ」と言った。小馬鹿にする感じで言った。現代ネット口語で表現するならば、

いやwwwスマップでしょwwwww

そして「スピッツっていう人たちいるから」と真顔で言われた。おもいきりカウンターをくらった。泣きべそをかきたくなるほど即座の反撃に半ズボンのまま立ちつくしていた。それが人生ではじめてスピッツを知った瞬間だった。

その後、『ロビンソン』とか『チェリー』とか『空も飛べるはず』とか、スピッツがチャートを席巻する時期がきて、私はスマップとスピッツのちがいを認識し、普通にハマッた。大学生になるとアルバムを聴くことも覚え、過去のアルバムをさかのぼった。一番熱心に追っていたのはこの頃だ。

2007年に『さざなみCD』が出た時は、草野マサムネが四十歳だという事実におどろいていた。なんせアルバムの一曲目から「僕のギター」という曲である。ふつう、四十歳というのは「僕の瓶ビール」のほうが似合う年頃だ。なのに平気で「僕のギター」であり、それが完全に成立していることにおどろいていた。この人はなんなのか。ある時をさかいに年をとることをやめたのか。

そして『さざなみCD』の発売から十年近く経った現在も「僕のギター」という雰囲気は濃厚に漂っている。いっこうに「僕の瓶ビール」になってこない。「僕の加齢臭」でも「僕の血糖値」でもない。少年から青年でとまり、中年をむかえないまま年をとっていくのか。

同居人は「あの人まだ童貞なんだよ」と言っている。むちゃくちゃ言うなとは思ったが、すこしだけ説得力を感じるのも事実。たしかに童貞でもなければ、あれだけ少年らしさを残したまま年をとれない気がする。

どこかのタイミングで、唐突にじいさんになるのかもしれない。中年をすっ飛ばして、いきなり老年に。一人称も「僕」から「わし」に変わる。とうとう「僕のギター」も似合わなくなり、「わしのつえ」とか言い出すのかもしれない。

スピッツ70thシングル「わしのつえ」

2036年あたりにリリースしてほしい。

 

さざなみCD

さざなみCD