真顔日記

上田啓太のブログ

「ゴミは気づいた時に捨てろ」という正論について

自分のゴミにたいする感覚はおかしいようだ。ここでいうゴミとは部屋に落ちる小さな食べカスのことである。これにたいする自分の態度はおかしい。三十六歳女性に指摘されて気がついた。具体的に説明しよう。

私には缶ビールを飲みながら柿の種を食べる習性があるんだが、ご存知のとおり、アルコールには人間の頭を鈍らせるため、柿の種をうまく口元に正確に運ぶことができず、いくつか床に落としてしまう。そして酔った人間は非常に大ざっぱになっているものだから、いちいち拾うことはせず、酔いに任せて快適な気分になっている。

なので、私の小部屋には柿の種がよく落ちている。いつかの自分が酔った拍子に落としたものである。それを見るたびに私は思う。

「柿の種が落ちてる」

そして、ささやかな日常に戻っていく。

「気づいたときに捨てて!」と三十六歳女性は言うんだが、これほど圧倒的な正論もないと思う。たしかに、なぜ見つけたときに捨てないのか。べろべろに酔って柿の種を落とすのはまだいいが、なぜしらふの状態でも「落ちてる」と認識するだけなのか。なぜそのままささやかな日常に戻ってしまうのか。

一時期は、小部屋の窓枠にアイスの棒がずっとはまっていた。おそらく過去にアイスを食べたまま棒を放置したんだろうが、それも気づくたびに「アイスの棒だ」と思っていた。

「捨てろよ!」と女性は言う。これは当然の発言で、視界に不要なものが入ってくると人は自然に捨てようとするはずだ。しかしその自然が私には学習されておらん。認識して終わりである。「これはゴミです、以上終わり」という態度。ゴミをゴミと認識するだけ。文字にするとひどいものである。「ゴミと認識するだけ」とは何なのか。その思考自体がゴミではないのか。

机の上にクッキーの細かいカスがあったとき、手のひらでザーッと床に落として、「すべては解決した」という顔をすることもあるらしい。これもキレられている。何も解決してないとのことである。ちょっと満足げな顔になるのが腹立つとのことである。

「床はゴミ箱じゃないでしょう!」

本当に正論だと思う。そしてこれもそうなのだ。「アイスの棒だ」と同じ仕組みで「正論だ」と思っている。これを自覚した時は震えた。どれだけ正論を言われても「正論が落ちてる」としか思っていない。正論を拾おうとしていない!

だから私は、机の上に正論のカスが散らばっていれば、手でザーッと床に落として「すべては解決した」と思うだろうし、正論をつまみに酒を飲めば、後日、床でほこりまみれになった正論を見つけて、

「正論が落ちてる」

そしてささやかな日常に戻っていく。

これが根本原因であり、早急に対処して清潔な居住空間の実現に邁進するべきなんだが、しかしこの瞬間も私が考えているのは「正論をつまみに飲む酒は絶対美味くない」という無関係なことである。ゴミの話よりそちらを展開させたくなっている。

柿の種をつまみの最高峰とするなら、正論は最低最下級のつまみである。コンビニにポテチとジャッキーカルパスと正論が並んでいた時、正論を手に取る酒飲みは一人もいない。

それでも大学生なんかは飲み慣れていないから深く考えることなしにチューハイとポテチと正論をレジに運ぶかもしれない。そして友人の部屋で男女五人で乾杯し、ポテチをバリバリ食い、酒をガンガン飲み、隣室の迷惑もかえりみず盛り上がるんだが、そのときに買ってきた正論が言いはじめるのは、

「大学は友達づくりのためにあるんじゃなく学問の探求のためにあります。授業にはしっかりと朝から出ましょう。身近な友達と群れるのではなく多様な価値観にふれるため年配の方とお酒を飲みに行きましょう。単位を取るためじゃなく向学心のために勉強しましょう。恋愛は自由ですがあくまでも学問を第一に置き、恋人とは清く正しく結婚を前提にお付き合いし、デートは図書館を利用して、互いを高め合う関係を築きましょう」

調子乗りの男など、さきほどまで上半身裸でウェーイ的な奇声を発していたのに、いまや胸元を服で隠しているしまつで、室内に滔々と流れる正論に五人組の浮かれ騒ぎは終わり、チューハイは中身が残ったまま放置され、残ったポテチは静かに湿ってゆく。

これが正論をつまみに酒を飲んでも美味くないということなんだが、お気付きのとおり、話は完全に脱線している。これだから問題が解決しない。絶対に話を脱線させてはいけないし、問題を自覚したら早急に解決に向かうべきなんだが、それもまた正論である。

ということで、今から酒を飲むので今日の話は終わり。つまみは柿の種である。