読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

真顔日記

上田啓太のブログ

女をキスで黙らせることは可能なのか?

私は女をキスで黙らせたことがない。

いや、そもそもそんな経験のある男はいるのか。実際に見たことがない。しかし表現としては聞いたことがある。「憎まれ口ばかり叩く女をキスで黙らせる」というやつである。これは何なのか。あくまでもイメージの世界にのみ存在しているんじゃないか。

「大体、あんたはいつもそうなのよ! 自分のことばっかりで、あたしのことなんか少しも んっ…」

この「んっ…」が面白いわけである。

しかし具体的にドラマやマンガのシーンが浮かぶわけでもない。元ネタは何なのか。キムタクあたりがやっているのか。たしかにキムタクは女をキスで黙らせてそうだが、こんなものは私の勝手なイメージであり、おまえは木村拓哉の何を知っているんだと問い詰められれば、モゴモゴと曖昧なことをつぶやくしかない。そしてその口をキムタクにキスでふさがれる。

実際のところ、女をキスで黙らせるのは非常に難しいはずである。人間の顔はいつも微妙に動いているし、相手との距離も即座に詰めなければならない。すこし間違えば歯と歯がぶつかる。しかも相手の女は憎まれ口を叩いているのである。その口をキスでふさぐことなどできるのか?

そもそも、キスでふさぐことで女は黙るのかという疑問もある。むしろ激怒するんじゃないか。私が女だったら真面目な話の最中にキスで口をふさがれれば激怒する。「あんたのそういうところが嫌なのよ!」と言いたくなる。

「問題を分析しようとせずに、すぐにキスでふさごうとするところ!」

それくらい言う。私が女だったら。

「わたしが言いたいのはね んっ… 現状を客観的に分析することで問題点を洗い出し んっ… 議論を重ねることで解決案を練りあげ んっ… 実践を繰り返すことで学習サイクルを んっ……

「いいかげんにしてよ!」である。キスでふさがずに話を聞けと言いたくなる。これから二人の将来について建設的な議論をするんだから、あんたも相手をキスで黙らせることばかり考えてないで、少しは頭を使ってくれと。唇ばっかり使ってんじゃないと。

やはり、こんな男はいるのかという疑問がわく。こんな無茶を成立させるには、人間ばなれした魅力が必要なんじゃないのか。キスですべてをチャラにできる男、あらゆる怒りの炎をキスで消火できる男である。

そうなると、身近な女にだけ能力を使うのはもったいない。キスで女を黙らせられるほどの男ならば、何だって黙らせられるんじゃないか。

「お客さん、会計済ませてませんよね? ちゃんと払ってもらわないと困りますよ、うちだって慈善事業でやってんじゃ んっ…

定食屋はこれでタダ食いできる。

「こんな問題も分からんのか! 高一レベルだぞ高一レベル! 中学校からやりなおすか!? 来年は受験生 んっ…

教師はこれで黙らせる。もちろん大学受験は面接官をキスで黙らせて一発合格。まさに一芸入試である。単位だって教授をキスで黙らせてあっさり揃える。卒論にも「んっ…」とだけ書かれている。

こうなってくると、男のキスはあらゆる行為の枠外にある。道徳も倫理も越えたところにキスはある。裏社会の掟も、近代の法体系も、聖典の言葉も、男のキスを縛ることはできないだろう。

「兄ちゃん臓器売り飛ばすかぁ? 借金返すには肝臓か腎臓をんっ…兄ちゃん…ワシの心臓こんなにドキドキしてる…」

「被告の犯行動機は身勝手で情状酌量の余地なし、よってここに死刑を求刑するんっ…無罪…」

「汝、姦淫するなかれんっ…姦淫しよ?」

こんな男がいるならすごい。ヤクザも裁判官も唯一神もキス一発で黙らせる。そこまでの男ならば、私もキスで黙らせてみてほしくなる。一度くらい体験してみたい。この男にボコボコに殴られて、親兄弟の悪口をさんざん言われて、家にも火を放たれて、キスひとつで「んっ…」となってみたい。

「ったくもう……自分勝手なんだから……」

そんなふうに、ほほを赤く染めてみたい。ごうごうと燃えさかる自宅をバックに。