学生時代の知人に、霊感があるという男がいた。
日常でフッと幽霊が見えることがあるらしい。たとえば受験生のころに部屋でひとりで勉強していた時のこと。ふと集中が切れてうしろを振り返ると、部屋の隅に女の子が立っていた。あるいは、三条大橋を歩いていた時のこと。何かを感じて視線を下にやると、地面に武士の生首がごろりと転がっていた……。
「やばいんだよ、俺……」
そう言っていたが、私は嘘くささを感じていた。その男が筋トレマニアで、分厚い大胸筋と、ゴリラのような上腕を持っていたからである。このへん、私の偏見ではあるが、マッチョに霊感などあるはずがないのだ。
「見えちゃうんだよ、見たくないのに……」
そう話すあいだも大胸筋が動いていたし、身振り手振りのたびに、上腕二頭筋が筋張っていた。「どうせブン殴るんだろ」と私は思っていた。女の子の幽霊をブン殴ったんだろ。武士の生首だって、ゴリラがウンコ投げるくらいの気軽さでブン投げたんだろ。
たぶん、怪談の語り手には相応の見た目が求められるんだと思う。げっそりとしていること、目が血走っていること、目の下にくまがあること。今まさに怪奇の犠牲になり、命からがら逃げ帰ってきた雰囲気の漂っていることが望ましい。稲川淳二なんて、まさにげっそりとしているだろう。
マッチョの語る怪談には、そのへんの説得力がない。とくに私がマッチョに偏見を持っているからだろう。マッチョに怪談を語られても、「ブン殴ればいいじゃん」の一点ばりである。うらめしい女がいようが、ブン殴ればいい。すべては「うるせえ」の四文字で解決できるんだから。
幽霊サイドでも話は同じである。マッチョな幽霊には何の説得力もない。マッチョには化けて出ることなど許されない。踏切の近くに夜な夜な幽霊が立つというとき、許されるのは女の幽霊か子供の幽霊であり、それがマッチョな男では、まったく怖くない。
夜な夜な踏切に立つ、タンクトップ姿のマッチョな幽霊。彼は数年前、踏切に挟まれたまま電車に轢かれ、無念の死を遂げたのだ……。
とか言われても、「マッチョなんだし、踏切こじ開ければよかったじゃん」と思ってしまう。「なんでこじ開けなかったの?」である。電車が来ても、両手でグッとおさえて停止させればいい。そのための筋肉だろう。最悪ハネられても死にゃあしない。マッチョなんだから。
「蚊かな? あ、特急か」
そんな反応だろう。マッチョなんだから。
まあ、うすうす勘づいてはいるが、私のマッチョイメージはおかしい。マッチョとゴリラと富士山とガーディアンの区別がついていない。マッチョとチンパンジーとブラキオサウルスと木星が同じ箱に入っている。グーグルでマッチョと検索したら「もしかして:不死身」と出ると思いこんでいる。
それは自覚している。
それはそれとして、マッチョの語る怪談は怖くないということであり、マッチョな幽霊には説得力がないということである。
実際にマッチョな幽霊が出るとしたら、踏切ではなくジムかもしれない。トレーニング中の事故によって、こころざしなかばで死んでしまったトレーニーだ。
だからこのジムでは、さまざまな怪現象が起こる。いつのまにか減っているプロテイン、誰もいないジムから聞こえる「カシャン、カシャン」という器具の音。そしてとうとう見てしまった。真夜中に誰かがスクワットしていた。たくましい大腿筋が暗闇にぼうっと浮かびあがる。しかしよく見ると、その生き物には上半身がなかった……。
これは「スクワットさん」という怪談。
他にもタイトルだけ考えている。
・アームカールばばあ
・うごめくダンベル
・設定重量13の怪
・遅すぎた超回復
しかし怖くはないだろう。ギャグにしかならない。
マッチョな知人に話を戻そう。
部屋の隅に女の子が立っていたとき、知人は「うわあっ!」と言って、視線を逸らしたという。そしてふたたび見ると、誰もいなかったという。三条大橋の生首も同じで、「うわあっ!」とおどろいて目を逸らし、おそるおそる視線を戻すと、何もなかったという。
すげえ普通じゃん、と私は思っていた。なんなんだ、その一般人と変わらないリアクションは。「うわあっ」とか言っちゃうのか。それじゃあ、マッチョもただの人間だ。
私はやはり、マッチョをゴリラや富士山や木星と同じ箱に入れていたい。マッチョとブラキオサウルスが戦えば、ぎりぎりでマッチョが勝つと信じていたい。マッチョで検索したら、「もしかして:大量破壊兵器」とサジェストされる世界に住んでいたい!
もしかして:馬鹿