真顔日記

上田啓太のブログ

「あっあっ妻夫木」で集中できない

Youtubeに十年ほど前の『世にも奇妙な物語』が上がっていて、そういや自分はこの番組をマトモに観たことがないと思った。

こういう系統のものは好きで、たとえば藤子不二雄の異色短編集だとか、笠辺哲の漫画だとか、小説ならばラファティとかシェクリイとかスタージョンとか、色々と夢中で読んでいた。しかし、『世にも奇妙な物語』は観ていない。盲点になっていた。

ということで再生してみたんだが、主演が妻夫木聡だった。十年ほど前だからたぶん二十代前半だろう。そしてこの時期の妻夫木聡というのは本当に美しさのタガが外れたような存在で、とにかく360度どの角度から見てもキラキラしており、これがドラマを見るうえで問題になった。

というのは、妻夫木が画面に映るたびに「あっカッコイイ……」となってしまい、いちいち物語から引き離されるのである。

日常的にテレビを観ている人には分かりにくいかもしれない。じつはテレビというのは異常であって、あれは、日本各地から集められた美男美女が次々と映る魔法の箱なんですね。だから無意識のうちに美男美女に慣れてしまう。

しかし、私のように家にテレビがなく、日常的に芸能人を見ない場合、たまに妻夫木聡のような生きものを見ると、本当に面喰らってしまう。「世の中にはこんなかっこいい男がいるのか!」と。「しかも動いてる!」と。

『世にも奇妙な物語』というのは、設定の妙やストーリー展開、オチの切れ味を楽しむものだと思うんだが、妻夫木聡が映るたびに「あっ……」となるんで、全然話が入ってこない。ブツン、ブツンと、妻夫木聡のかっこよさで集中がブッタ切られてしまう。

「なるほど、こういう設定ですか(あっ妻夫木カッコイイ…)…なるほど、それをこう展開しますか(あっ…妻夫木の横顔…)……ほほう、こうひねってきますか(あっ妻夫木……あっ……)はいはい、それをこう展開して……(あっ妻夫木が雨に濡れた……)うーん、オチはどうするんだろ?(あっ妻夫木……あっ……)」

ということで、話自体はきっちりとオチも用意されており、「そうきたか」というニヤリ感もあったんだが、結局、自分の感想は「妻夫木かっこいいなあ……」だった。とにかく妻夫木がかっこいい。そして美しい。

いちばんすごかったのは中盤のシーンで、画面に妻夫木の下半身、というか膝から下だけが映ったんだが、顔も何も映っていないのにかっこよかった。スニーカーと靴下とジーンズだけでかっこよかった。同居人には「いや妻夫木くんって分かって観てるからでしょ」と反論されたが、しかし、あのスニーカーとジーンズの感じでかっこよくならないのは不可能なんじゃないか。妻夫木以外にあのスニーカーとジーンズの感じを生み出すことはできないんじゃないか。

きき酒みたいな感じで、きき妻夫木やってくれませんかね。このスニーカーとジーンズの感じは妻夫木、このスニーカーとジーンズの感じは妻夫木じゃない、みたいに。けっこう当てる自信あるんですが。

まあ、無理やり結論を引き出すならば、プロットで魅せる話は平凡な男女を主役にしないとブレるということか。藤子不二雄の短編の主人公が平凡な男である理由がよくわかった。非現実的な美しさと非現実的なプロットは、食い合わせが悪い。思考と感情による主導権の奪いあいが起きます。