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真顔日記

上田啓太がいろいろ書くブログ

七色のあいづちと興味のなさ

日々と思考

ウォーキング中、前方をカップルが歩いていた。腕を組み、身体を密着させ、ほとんど一つの生物のように歩いている。もうすこし離れたほうが歩きやすいんじゃないかと思ったが、歩きやすさより二人の愛が優先されるのがカップルというものなのか。

そんな状態で歩いているから歩みは異常に遅く、私が後ろからゆっくりと追い抜いていく形となった。話の内容が聞こえてきた。男のほうがパチンコの話をしていた。といっても勝った負けたの話じゃなく、パチンコの仕組みそのものの話。換金所というものの存在や、店側が出玉を調整していること、どうあがいても客側には勝てない仕組みになっていることなど。

女のほうは、「ふーん」というあいづちを、さまざまなニュアンスに味つけしながら繰り返していた。ふうん、フーン、ふぅん、フゥん、ふむうん、フゥーン、ふゥん、など。それはまさに七色のあいづちとでも呼べそうなバリエーション豊かなものだったが、私の経験上、女が七色のあいづちを操っている場合、話の内容にまったく興味がない。

しかし、あいづちが七色である以上、相手のことを嫌いなわけでもない。「この人のことは好きだが、この人の話はつまらない」という状況において、あいづちは七色になり、そのニュアンスが豊かに花開くんだろう。まあ、花開けばいいってもんじゃないんですが。

「この人の話はつまらないし、この人自身にも何の興味もない」という場合、あいづちは単色になるはずだ。ふうん、ふうん、ふうん、という、単調そのものの繰り返し。これはドラクエにおいて、国王のどうでもいい話にボタン連打で対応することに似ている。ドラクエの国王に面白い話をする男がいた試しがない。

相手への気持ちが冷めていくほど、花びらが一枚ずつ落ちてゆくように、あいづちは一つ、また一つとその色を減らしてゆき、七から六、六から五、五から四、そして最後に単色に至る。そしてそれすら消えた時は、ただの無表情、あるいは爪をいじる、髪をいじる、ためいきをつく、スマホを凝視して顔もあげない、などの反応になるんだろう。

いま書いてみると、これはこれで多様ですね。あいづちの色は消えても、今度は別のかたちで豊かさが花開くということか。やはり、花開けばいいってもんじゃないですが。