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真顔日記

上田啓太のブログ

おひたしバージョンのワンピースが読みたい

ワンピースの最新刊が78巻ということで、本当にすごいなあ、と子供みたいなことを思う。私は60巻くらいで読むのをやめてしまったんだが、それ以降も休むことなくひたすらに物語は続いているようで、いまでも読んでいる三十一歳女性によれば、当分は終わる気配もないそうだ。

「100巻で終わりそう?」
「いや、たぶん無理」
「マジ?」
「もう10巻くらい同じ島にいるし。ていうか最近どの島にも10巻くらいいるし」

私もそのうち読むのを再開したいと思っているんだが、こういう長大な物語はいちど離れてしまうと戻るのがむずかしい。しかも連載が進むごとに、絵の密度もセリフの量もキャラクターの数も増えていっており、冷奴やほうれんそうのおひたしを好みはじめた自分には、この過剰さはしんどい。

本音を言えば、もっと省略を多用してほしいと思っている。個別のキャラクターの戦闘はあっさりと終わらせて、本筋のほうをチャッチャと進めてくれないものか。ギャグも半分でいい。何かの拍子に尾田栄一郎が省略という技法に目覚めることはないのか。「省略王に、俺はなる!(どん!)」みたいに。

しかし少年マンガに対して「過剰だから省略しろ」と言うのは無粋というか、見当違いだろうとも思う。少年が過剰じゃなくてどうするんだという話である。要するに自分が想定される読者層から外れたってことなんだろう。それはそうで、私が中学二年の時にはじまったマンガなのだから、三十をすぎた現在も同じ気分で読もうとすることに無理がある。年を重ねたならば文句は言わずに静かに去って、新しい何かを探せばいい。

なんてふうに綺麗に割り切れりゃあ、話は楽なんだが。

私の頭の中は、60巻分の謎・キャラ・伏線でパンパンになっている。そう簡単には割り切れない。「Dの意志」とか「空白の100年」とか「ラフテル」とか、そういう謎めいた言葉をたまに思い出しては、「結局あれ何だったんだ!」とソワソワしはじめる。そうなると一念発起して読むのを再開しようとするんだが、ページを開いてみればますます過剰になった世界がみっちりと広がっており、私はすぐに挫折して漫画を閉じ、ほうれんそうのおひたしを食べることとなる。

今は、三十一歳女性に最新ワンピース情報を聞くことで欲望をごまかしている。その会話はほとんど同窓会である。いちいち名前を出して、あいつはどうなった、こいつどうなった、とやっている。

「七武海のあいつは?」
「あいついますごい出てきてるよ」
「四皇のあいつは?」
「まだシルエットしか出てないね」
「んじゃあいつは?」
「最近見てない」
「じゃああいつは?」
「えーと、たぶん出てないかなあ」
「あの謎は解けそう?」
「うーん…まだだね…」
「あの言葉の意味は分かった?」
「いや分かってないけど…」
「そういえばあいつどうなった!?」
「いたね、そんなやつ…」
「あいつもう出てきてないの!?」
「どうだったかな…たぶん出てないよ…」
「あっ、そういえばあいつは!?」

このへんで「もう自分で読みなさいよ!」とキレられて終わる。しかし読むのはしんどい。しんどいんである。おひたしバージョンのワンピースが私は読みたい。