真顔日記

上田啓太のブログ

ゴリラワナビーの文化系男

自分をゴリラに例えられたときの、あの胸のときめきは何だろう!

最近は日常的にスーパーでバナナを買っているんだが、居間でバナナを食べていると、同居女性に高確率で「ゴリラか!」と言われる。これがもうたまらない。私のようなゴリラ憧れの人間、ゴリラワナビーとでも呼ぶべき人間にとって、これは最高の褒め言葉なのだ。

「いやいやいや! だれがゴリラだよ!」

そう言いつつも、顔のにやけるのは抑えられない。バナナを持つだけでゴリラに例えてもらえる。ゴリラ扱いしてもらえる。こんな貧相な私が、肩幅のせまい私が、平均体重を下回る私が、どちらかといえばテナガザルに似た私が、ゴリラに例えていただける。こりゃもうバナナというのは魔法の黄色いステッキ、そう認めるしかない。

このゴリラ憧れの感覚は、分からない人にはさっぱり分からないだろう。まず女には分からない。女にとって、ゴリラに例えられることはマイナスでしかない。「ゴリラみたいな女」といったら頻繁に使われる罵倒の言葉だろう。「なんでゴリラに例えられて喜ぶのよ?」と思うにちがいない。

そして男でも、分からない人間はたくさんいるだろう。これは仮説だが、ゴリラに近い男ほどゴリラに例えられることを喜ばない。

たとえば、プロのアスリートはかなりの確率でゴリラに似ていくものだ。このあいだネットの記事で、サッカー日本代表の練習風景を見たんだが、そこにいるのはボールを奪いあうたくさんのゴリラだった。巨大な体躯、ムキムキの筋肉、プレイ中だから人間らしく表情を整える余裕もない。結果、どの選手も獣性がむきだしになっている。

ああいう人たちは、ゴリラに憧れるも何も、現実にゴリラになっているわけだから、ゴリラに例えられることを喜ばないだろう。

要するに、「文化系の男だけがゴリラに憧れる」というのが私の仮説なんだが、しかしこの仮説も、フェアな態度で見るならば、少々無理がある。たとえば、いまの文化系男子の代表が誰なのかは分かりませんが、加瀬亮という俳優さんがいますね? あの人はすごく文化系っぽい雰囲気があると思うんだが、果たしてゴリラに憧れているか?

こう問うてみると、正直、イエスとは言いにくい。むろん、私は加瀬亮さんのインタビューを読んだこともないし、写真で顔を知っているだけなので、もしかしたら女性誌のインタビューで、ゴリラへの憧れを語っている可能性はある。「尊敬する人はたくさんいますが、一番はやはりゴリラですね」とか、「今の僕には無理ですが、いつかはゴリラの役にも挑戦してみたい」とか。

しかしどうも怪しい。加瀬亮さんがそんなことを言っているはずがないのは想像できる。となると、文化系の男というよりは単に私がゴリラに憧れているだけなのか?

謎は深まるばかりだが、とにかく自分はゴリラに憧れていること、完全なゴリラワナビーであること、これは揺らぐことのない事実であり、それは自分がゴリラに例えられるたびに訪れる、あの胸の高鳴りによって証明されている。

冬の寒い朝、茶色い掛布団にくるまって震えていたとき、「スーパー行くけど何かいる?」と同居女性にたずねられたことがあった。私は布団にくるまったまま、「バナナ……」とだけ答えた。女性は即座に言った。

「ゴリラか!」

あの出来事はすばらしかった。茶色い布団にくるまっていたのは偶然であり、狙ったわけではなかった。だが結果的に、私は茶色い身体でバナナをほしがるという、高度にゴリラ的なふるまいをすることができた。

あれ以来私は、コレクターがお気に入りの壺を撫でまわすように、「ゴリラか!」の一言を、折にふれて思い出している。俺、すごいこと言われちゃった! ゴリラかって言われちゃった! そう思いながら、遠くをうっとりと見つめている。その気分は、ほとんど乙女。

ああまったく、ゴリラから遠い。