真顔日記

上田啓太のブログ

ゴリラワナビーの文化系男

自分をゴリラに例えられたときの、あの胸のときめきは何だろう!

最近は日常的にスーパーでバナナを買っているんだが、居間でバナナを食べていると、三十一歳女性に高確率で「ゴリラじゃん」と言われる。これがもうたまらない。私のようなゴリラ憧れの人間、ゴリラワナビーとでも呼ぶべき人間にとって、これは最高の褒め言葉なのだ。

「いやいやいや! だれがゴリラだよ!」

そう言いつつも、顔のにやけるのは抑えられない。バナナを持つだけでゴリラに例えてもらえる。ゴリラ扱いしてもらえる。こんな貧相な私が、肩幅のせまい私が、平均体重を下回る私が、どちらかといえばテナガザルに似た私が、ゴリラに例えていただける。こりゃもうバナナというのは魔法の黄色いステッキ、そう認めるしかない。

このゴリラ憧れの感覚は、分からない人にはさっぱり分からないだろう。まず女には分からない。女にとって、ゴリラに例えられることはマイナスでしかない。「ゴリラみたいな女」といったら頻繁に使われる罵倒の言葉だろう。「なんでゴリラに例えられて喜ぶのよ?」と思うにちがいない。

男でも分からない人間はたくさんいるだろう。これは仮説だが、ゴリラに近い男ほどゴリラに例えられることを喜ばない。たとえば、プロのアスリートはかなりの確率でゴリラに似ていくものだ。このあいだ、サッカー日本代表の練習風景を見たんだが、そこにいるのはボールを奪いあうたくさんのゴリラだった。巨大な体躯、ムキムキの筋肉、プレイ中だから人間らしく表情を整える余裕もない。結果、どの選手も獣性がむきだしになっている。ああいう人たちは、ゴリラに憧れるも何も、現実にゴリラになっているわけだから、ゴリラに例えられることを喜ばないだろう。

要するに、「文化系の男だけがゴリラに憧れる」というのが私の仮説なんだが、しかしこの仮説も、フェアな態度で見るならば少々無理がある。たとえば、いまの文化系男子の代表が誰なのかは分かりませんが、加瀬亮という俳優がいますね? あの人はすごく文化系っぽい雰囲気があると思うんだが、果たしてゴリラに憧れているのか?

こう問うてみると、正直、イエスとは言いにくい。むろん、私は加瀬亮のインタビューを読んだこともないし、写真で顔を知っているだけなので、もしかしたら女性誌のインタビューで、ゴリラへの憧れを語っている可能性はある。「尊敬する人はたくさんいますが、一番はやはりゴリラですね」とか、「今の僕には無理ですが、いつかはゴリラの役にも挑戦してみたい」とか。

しかしどうも怪しい。加瀬亮がそんなことを言っているはずがないのは想像できる。となると、文化系の男というよりは単に私がゴリラに憧れているだけなのか? 謎は深まるばかりだが、とにかく自分はゴリラに憧れていること、完全なゴリラワナビーであること、これは揺らぐことのない事実であり、それは、ゴリラに例えられるたびに訪れる胸の高鳴りによって証明されている。

冬の寒い朝、茶色い掛布団にくるまって震えていたとき、「スーパー行くけど何かいる?」と三十一歳女性にたずねられたことがあった。私は布団にくるまったままで、「バナナ……」と答えた。三十一歳は即座に言った。

「ゴリラか!」

あの出来事はすばらしかった。茶色い布団にくるまっていたのは偶然であり、狙ったわけではない。だが結果的に、私は茶色い身体でバナナをほしがるという、高度にゴリラ的なふるまいをすることができた。あれ以来私は、コレクターがお気に入りの壺を撫でまわすように、「ゴリラか!」の一言を折にふれて思い出している。俺すごいこと言われちゃった! ゴリラかって言われちゃった! そう思いながら、遠くをうっとりと見つめている。その気分はほとんど乙女。

ああまったく、ゴリラから遠い。

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