真顔日記

上田啓太のブログ

マッチョは熊を殺せるか?

筋肉のことばかり考えている。

いや、正確には「筋肉のついた自分」について想像していることが多い。現在の私は右肩あがりで体重が増えているから、このままいけば一年後、二年後、さらに十年後には、とんでもなくマッチョになっているだろう。そんな未来の自分を想像しているのだ。

だが、自分の感覚はズレているのではと不安になることがある。はじめて自分に筋肉がないと意識したのは小学校三年生のことだから、もう二十年近くマッチョマンについて考えていることになる。しかしとくに誰かと話しあうこともなく、自分の内部だけでマッチョのイメージを膨らませているから、一般的なマッチョと自分の想像がズレているというか、イメージが暴走している感がある。

最初のうち、小学生のころだったら、それこそマッチョはドッジボールで速い球を投げれるだとか、そういったものだったが、二十年にわたる隔絶された環境での想像は、私のマッチョイメージをおかしなところへ連れてきていないか。

たとえば、現在の私が確信的に思っていることとして、「マッチョは熊を殺せる」というのがある。だから自分がマッチョになったことを想像する際、高確率で熊と格闘している。そして圧勝している。イメージの世界では「マッチョになった自分>野生の熊」という不等式が成り立っているのだ。

私は自分のなかにあるイメージを文字にすることが多いのだが、熊についてはこんな断片的なメモが残っている。

「肩幅が広くなり、二の腕が太くなった。手首から肘にかけて筋肉が隆起している。体型のシルエットが変わったことで自信がついた。いまなら熊を殺せる。マタギたちは猟銃を背負って山へ行くという。だが私は上半身裸で己の身ひとつで山へ向かう。鋼鉄の肉体が何よりの武器だと知っているからだ。私が歩くと熊たちは死んだふりをする。弱肉強食の世界では筋肉の分厚い人間がすべてを手にするのだ」

これなんか、書いている時は興奮していたはずだが、今読み返すと意味がわからないというか、世界観に入っていけないというか、要するに誇大妄想だと感じるのだ。

これから実際にマッチョになるにあたり、こういう偏ったマッチョ観についても考えていきたいと思っている。この日記でも真顔で筋肉のことを書く回が増えるかもしれないが、あたたかい目で見守っていただければ幸いである。