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真顔日記

上田啓太がいろいろ書くブログ

ウォーキング神を崇めよう

日々と思考

雪のバカが降りやがって、二日ほどウォーキングができなかった。身体が気持ち悪くてしかたなかった。完全にウォーキングという行為にハマってしまっている。むかしの自分が見たらドン引きするような健康的な生活である。

「規則正しい生活と適度な運動」なんて言葉は、過去に一万回くらい様々なところで聞いていた。あの頃はそのすべてを知らん知らんと否定して、夜中に焼肉弁当を食べながらスーパードライをバカ飲みしていたが、どうりで身体の調子がおかしかったわけだ。

すべてはウォーキングのおかげ、いや、もう呼び捨てにはできない。ウォーキング様のおかげだ。私は宗教には興味がないし、玄関にそういった人が来ても丁重にお断りしていたが、今ウォーキングを神と崇める宗教をすすめられたら間違いなく入信してしまうだろう。

しかし、まだ世界にウォーキングを宗教まで高めた者はいない。

ならば、私が開祖となろうではないか。

ウォーキング教の全貌はこうだ。ウォーキング神の声を一番近くで聞いた人間として私がいる。私は「すこしくらい運動したほうがいいかな」と軽い気持ちでウォーキングを始めたが、二週間後にはウォーキング中に神の声が聞こえるようになった。天才的な感応力を持っていたからである。

神は言った。「汝の近隣を歩けよ」と。

西欧のほうの宗教では「汝の隣人を愛せよ」とか言うらしいが、ウォーキング教からすれば「汝の近隣を歩けよ」である。汝の近隣を歩いていればおのずと隣人にも出会うだろうし、ウォーキングのおかげで心が晴れやかになっているから自然と挨拶してしまう。結果的に汝の隣人を愛せるのである。

そのうち私の教えに感銘を受けた者たちが出てくる。たぶん十二人だ。私は彼らを使徒と呼び、ともにウォーキングをするようになる。大の大人が十三人でウォーキングする姿は不気味で、なにか反社会的な集団なのではと誤解されることもあるが、その実体はウォーキング教を広めるため歩きつづける健康的な無職である。

だが、我々十三人があまりに満面の笑みで、腕をみごとに振りながらウォーキングするものだから、「あいつらはヤバい」「気が違っているのではないか」「そもそも平日の昼間にいい大人が何をやっているんだ」などと世間の不信感はつのっていく。

そして決定的な事件が起きる。十二使徒のひとり、ユダが裏切るのである。ユダは普段から陰で「ジョギングのほうが良くね?」「ていうかバスケしてえ」などと許しがたいことを言っていた男である。

私は吊るされ、足元にルームランナーを置かれる。ルームランナーは明らかにウォーキングでは対応できないスピードで動きだし、私はウォーキング神への敬虔な気持ちを持ったまま、ジョギングさせられることになる。

神への裏切りが私の心を苦しめる。そして肉体も、ジョギングに全然慣れていないので、すぐに息が切れ、足が痛くなり、私はルームランナーの上で死ぬ。

しかし三日後、私はよみがえり、再びウォーキングを始める。人々は奇跡を見た興奮から、うしろについてウォーキングしはじめ、気付けば人類六十五億人がウォーキングをはじめていたのだった。

以上、ウォーキング教のあらましを読んでいただいた。このように、ウォーキングを三ヶ月続けるだけで人はとても健康になり、豊かな精神世界を持つようになり、ウォーキングを神の如く崇拝するようになり、気狂いじみたことを書くようになり、まだ夜中にビール飲んでるほうがマシな状態になります。