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真顔日記

上田啓太のブログ

パワースポット問題の解決法

パワースポット 京都でも次々誕生 オカルト信仰危惧も(毎日新聞)

京都に続々とパワースポットが誕生してるらしい。

パワースポットって、誕生するものだったのか。

大学時代の四年間を京都ですごし、現在も京都に住んでいる私としては、知っている地名がたくさん出てきて興味深い。「あそこパワースポットとか言われてんのかよ」って感じである。

源義経が修行したことでも知られる鞍馬山(標高570メートル、京都市左京区)。鞍馬寺はその深い森に包まれている。パワースポットとされているのは本殿前の広場だ。

鞍馬山は、大学三年の夏ごろに行った。家から電車で二十分ほどだったからだ。特に何も考えずぶらぶらしていたが、あそこもパワースポットだったのか。知らないうちにパワースポットに行っていたのだ。鞍馬山からたくさんパワーをもらったおかげか、卒業後は同級生が大学院にいくなかで芸人になり、二年でコンビ解散し、それからフリーターになり無職になり、今では女の家に住んでいる。

私はあまりパワースポットというものは信じていないが、たくさんの人が信じているのは事実だ。そして、「あんなもんインチキだよ」と言うのもなにか違う。そういうアプローチをしても信じている人間と信じていない人間の溝が深まるだけで事態は変わらない。

そもそも、「ここはパワースポット」というような話は本質的に不毛だ。ある場所が「ここはパワースポット」と紹介され、たくさんの人々が集まるようになると、他の場所も「うちもパワースポットです」と言って対抗しなければならなくなる。実際にパワースポットかどうかは関係ない。客を呼べるかどうかが重要なのだ。

こうなると不毛な争いが幕をあける。人々がパワースポットであることを基準に行く場所を決めるなら、信じていようがいまいが、効果があろうがなかろうが、パワースポットだということにするしかない。「歴史のある場所」や「美しい景色」と同じように、「パワースポットであること」は観光地の絶対条件になってゆく。

そのうち、パワースポットの数が増えすぎる。あらゆる観光地がパワースポットということになっていく。そしたら、もうパワースポットというだけでは客は来ない。それはもはや特別なことではないからだ。客を呼ぶには、さらに差別化する必要が出てくる。

結果、「実はパワースポットにもランクがあって……」なんて話になってくる。「パワースポット番付」みたいなものが雑誌で特集されて、ここはAランクだとかBランクだとか、特AランクだとかSランクだとか言い出すことになる。ランクをあげるために大量の札束が乱れ飛ぶ。

さらに事態が進めば、「うちはスーパー・パワースポットだ」とか言い出す場所も出てくるし、「そもそもパワースポットよりエナジースポットが新しい」と別の概念を導入する人も出てくるし、パワースポット業界は定説・異説・珍説が入り乱れる混沌とした状態になり、人々はなにがなんだか分からなくなって頭が破裂して死にます。

そんな悲劇を起こさないための方法を考えていたんだが、これはもう一つしかなくて、「地球はパワースポットです」ということにするしかない。そうすればもうどこがパワースポットなのかを悩まなくて済む。あそこの神社も向こうの山もパワースポットだ。近所のコンビニも駅前の商店街もパワースポットだ。あなたの家も私の家もパワースポットだ。日本もアメリカもヨーロッパもアフリカもパワースポットだ。地球はパワースポットなのだから。

これなら人類65億人がパワースポットの恩恵にあずかれるし、わざわざパワーをもらうためにどこかに行く必要もなくなる。地球はパワースポットということで、みなさんひとつよろしくお願いします。