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真顔日記

上田啓太のブログです

パン屋のおばさんにオシャレな問いかけをされた

日々と思考 おすすめ記事

現在、私の右ほほには傷がある。

誰かとケンカしたわけではない。飼いネコに引っかかれたのである。抱きかたがまずかったのか、ネコが落ち着かないようすでピョンと飛び降りようとし、私のほほに爪をたてたのだ。マンガでしか見たことのないような分かりやすい傷である。しかし今の生活では、顔に傷があってもたいした問題ではない。一週間もすれば消えるだろう。

今日、パン屋のおばさんに言われた。

「その傷の理由、聞いてもいいのかしら?」

このオシャレな問いかけはなんなのか。ちょっと笑いそうになったじゃないか。完全に不意をつかれたから、「いやあ、ネコに引っかかれちゃって……」と、ものすごく凡庸な返答しかできなかった。ぜんぜんオシャレじゃなかった。

あれはどうすればよかったのか。向こうがオシャレに問いかけてきたんだから、こちらもオシャレに返すべきだったんだが、いまだに正解がわからない。帰宅後もずっとモヤモヤしている。始まるはずだったオシャレなやりとりを、私はだいなしにしてしまったんじゃないか。一体、どうすればよかったのか。

「その傷の理由、聞いてもいいのかしら?」

「あなたの美の理由を教えてくれるならね」

そしておばさんにキス。

これはちがうだろう。パン屋のレジごしにキスしてどうする。「オシャレ=キス」という認識も我ながらひどい。別のパターンを考えねばなるまい。

「その傷の理由、聞いてもいいのかしら?」

「ネコですよ。うちには悪さをするネコがいるんです。もっとも僕の目の前にも、わがままな子ネコがいるみたいですけど」

そしておばさんにキス。

どうも私は、キス以外でオシャレなやりとりを終わらせる方法を知らない。キス以外のまとめかたが分からない。これはちょっとひどすぎる。そもそもこんなものは単なる性犯罪だろう。しかも供述内容が「オシャレな問いかけをされた。キスするしかないと思った」である。馬鹿の犯行である。

オシャレに関するイメージが貧弱だから、少ない武器で戦おうとするとキスしかなくなるのかもしれない。くちびるを重ねときゃオシャレになるんだろ、という発想だ。そんなわけがない。他のパターンはないのか。

「その傷の理由、聞いてもいいのかしら?」

「心の……傷ですか?」

これはうっとうしい。こんなうっとうしい男はブン殴りたい。しかし、あの店員はナチュラルにドラマチックな言い回しをするようだった。これくらいの返答のほうがよかったのかもしれない。

「ううん、まだそこには踏みこめない。まずは右ほほの傷のことを教えて?」

そんなふうに返してきたのかもしれない。

なんだか、オシャレのイメージトレーニングをしている気分になってきた。相手がこう来れば、こちらはこう返して、というふうに。この鍛錬を繰り返すことで、オシャレなやりとりができるようになるのか。

ちょっと、自分のなかでパン屋のおばさんもモーフィングし始めている。明らかに、ここまでキザと気取りをグツグツに煮詰めた女ではなかった。しかしすでに頭の中で見た目が麻生久美子になっている。自分の願望に影響されすぎである。共通点は細身だったことくらいだ。

しかしもう仕方ない。この路線で突き進んでみる。

「その傷の理由、聞いてもいいのかしら?」

彼女に言われたとき、私はしばらく質問の意味をはかりかねた。彼女はパン屋をしていた。小さいが、品のいい店だ。私はたまに訪れてパンを買った。そのうち少しの会話をかわす関係になった。その日の天気のこと、新しく売りはじめたパンのこと。

しかし今回の問いかけは普段とちがった。私はしばし絶句した後、ようやく右ほほの傷を思い出し、経緯を説明した。抱きかたを間違えて、飼いネコに引っかかれてしまったのだと。彼女はほほえんで言った。

「大丈夫なのかしら?」

「ご心配なく。一週間もすりゃ消えますよ」

「しかし消えない傷もある」と彼女は言った。

「もちろん」と私は言った。「人は多かれ少なかれ、傷を抱えて生きているものです。これは一般論ですがね」

私はトレイを置いた。「クロワッサンを二つ、それに少しの愛を」

彼女は小さく笑うと、「馬鹿ね」と言った。

「ねえ、あなたの傷が消えることはあるのかしら? もうひとつの傷が消えることは?」

「コロネパンにでも聞いてください」

「パンは言葉を持たないもの」彼女はクロワッサンをひとつずつ紙袋に入れていった。その指先はとても器用に動いた。私はしばらく見とれていたが、やがて横で寂しそうに放置されているトングを手に取った。

「不思議ですね、このトングでどんなものでもつかめると思っていたのに、人の心だけはつかめない」

「私はね」と彼女は言った。「この店でたくさんのお客さんを見てきたの。トングの使いかたひとつとっても様々だったわ。不器用な人もいるし、乱暴な人もいる。そんなにつかまなくてもパンは落ちないと言いたくなるくらい、ぎゅっと強くつかむのよ。そういうお客さんは接客するときも緊張するの。でもあなたは――」

そこで彼女は言葉を切った。

「あなたはトングを使いながら、パンではない何かをつかもうとしているように見えた」

「僕は」と私は言った。「僕は、すでに終わってしまった人間なんです。本当に大切なものを、ずっと昔になくしてしまった。だからトングでパンをつかみながらも、いつも心はどこか別のところにあるのかもしれない。そしてあなたも――」

私はしばらく次の言葉を探した。

「気を悪くされたら申し訳ないです。あなたもまたそうなのかもしれないと僕はずっと思っていました。あなたの焼くパンはすごくおいしい。でも同時に、僕はあなたの焼いたパンを食べながら、深い悲しみを食べている気分になることがあるんです」

「そんな感想をもらったのははじめてよ」彼女はそう言って笑ったが、ほほえみは持続しなかった。「たまにね、パンを焼きながら空白を焼いているような気分になるの。何もないものを、虚無を、ただの無を焼いているような気持ちになるのよ」

「エンプティ」と私は言った。

「このかまどの中には本当は何もなくて、ただけむりだけが天にのぼっていくのかもしれない。あるいは、わたしが本当に焼いているのは、わたしの心なのかもしれない。そんな日は、すこしだけ泣くの」

彼女は私の手からトングを取った。クロワッサンはすでに紙袋に入れられていた。私たちはしばらく見つめあった。「へんな話になっちゃったわね」と彼女は言った。

「こんなことが言いたいわけじゃなかったの。わたしの話の要点はね、あなたのトングは何もつかめなかったわけじゃないということ」

彼女はまっすぐ私を見つめていた。一対の瞳の深淵。

「あなたのトングは、わたしの心をつかんでいたのだということ」

彼女は店の入口を閉めた。すでに外は暗くなっていた。

「いいんですか? まだ閉店まで時間があるでしょう」

「どうせお客さんは来やしないもの」

彼女は歩幅を確認するようにゆっくりと三歩歩き、私の目の前に立つと、右ほほの傷にふれた。彼女に人差し指の先端でなぞられると、それは自分の傷でないような気がした。

「ひどいことをするネコね」と彼女は言った。

「普段は大人しいやつなんですよ。僕が悪かったんです。変なふうに抱いちまったから」私は愛猫を弁護した。

彼女は私の胸におでこをつけると、小声で言った。

「今度は抱きかたを間違えないように」

私は彼女を抱き寄せた。店の外を一台の車が走り過ぎる音がした。排気音がしばらく耳に残り、ふたたび完全な静寂がやってきた。時計が七時を打った。それが合図だった。私は彼女の髪をなでると、そのくちびるにキスをした。

以上です。

これ、結局キスでまとめるしかなくないですか?

 

 

Twitter:@ueda_keita
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「SMAPさん」という呼びかたに違和感をおぼえた

日々と思考

はじめに、「さん付け」するか否かに関する個人的な感覚を書いておきたい。

・知人を呼ぶときは、さん付けする
・しかし仲良くなれば、さん付けしない

・有名人の名前は、呼び捨てにする
・しかし有名人でも知人ならば、さん付けする

・歴史上の人物には、さん付けしない(織田信長さんとは言わない)
・グループ名にも付けない(SMAPさんとは言わない)
・企業名にも付けない(ソニーさんとは言わない)

これが私の中の「常識」なんだが、常識というのは強固に見えて、すこし叩けばグニャッと曲がる。時代と場所で少しずつ変化するからである。実際、どのような時にさん付けするかは、この十年でも微妙に変化したように感じる。

ということで、「SMAPさん」という呼び名への違和感である。グループ名にさん付けするのか? それはおかしくないか? それとも私の感覚のほうがおかしいのか? 

具体的に考えてみたい。まず、現在の私はSMAPのメンバーをフルネームで呼び捨てにしている。木村拓哉、中居正広というふうに。これは芸能人全般を呼ぶときの私の態度である。自分の中では非常に自然なことだ。

次に、私がSMAPの五人と知り合いだとしてみよう(なんちゅう仮定だ)。その場合、個々人に対しては「木村さん、中居さん」と呼ぶことになる。これも違和感はない。

しかし、それでもグループ名を呼ぶ時は「SMAP」と言うんじゃないだろうか。知人の所属するグループだろうが、さん付けはしないんじゃないのか。

しかし、である。仮に私がSMAPに楽曲を提供したとする(本当になんちゅう仮定だ)。その場合、どうも「SMAPさん」と言いたくなる気もする。「SMAP」という個人と仕事上の取引をしている気がするからだ。

もしも私がSMAPとの仕事をツイッターで告知する場合(なんちゅう仮定だ)、「SMAPに楽曲を提供しました」と言えるだろうか? ちょっと失礼かもと思って、「SMAPさんに楽曲を提供しました」と言ってしまうのではないか?

いまさらだが、この文章を書くきっかけになったニュースがある。SMAP解散の報を受けたスガシカオが、過去に『夜空のムコウ』を提供したことに言及して、「オレの中でSMAPさんは大きな存在」と言っていたのである。そのときの「SMAPさん」という表現に違和感があって書いている。

しかし私は、自分のなかの常識がグラつきやすい人間だ。へんに細かいところを気にするうえに、常識がグラつきやすい。違和感で書き始めたはずなのに、すでにスガシカオの立場ならSMAPにさん付けするんじゃないかと思いはじめている。

つまり、私とスガシカオの身体が入れ替わり(なんちゅう仮定だ)、私がスガシカオとしてインタビューを受けたならば、当然のように「SMAPさん」と言う気がする。スガシカオとしての私は、SMAPさんに感謝しているから(なんちゅう仮定だ)。

以下、いちいち「なんちゅう仮定だ」とは書きません。

かわりに適当な顔文字をいれます。

さん付けの問題はほんとうに微妙で、考えれば考えるほど分からなくなる。次のような問題もある。私がSMAPのメンバーに相談されるほどの仲だとして (≧▽≦)、人名とグループ名を同時に呼ぶ場合はどうなるのか?

つまり、私が親友の中居正広に質問するとして (◎o◎)、「中居さん、SMAPさんを解散する件ですが」とは言わないはずだ。この場合、「中居さん、SMAPを解散する件ですが」である。「中居さん」と呼ぶならば「SMAP」は呼び捨てである。これはかなり共感される感覚ではないのか。

ちなみに、これをシンプルに裏返すと、「中居」と呼び捨てにするなら「SMAPさん」と呼ぶことになるんだが、これは絶対にちがう。「よお中居、SMAPさんを解散する件だけどさ」というのは、頭のおかしいチンピラの発言である。

こうなると、冒頭で箇条書きにした「さん付けするか否かの条件」も怪しくなってくる。「歴史上の人物はさん付けしない」と私はあっさり書いた。しかし、歴史上の人物の子孫と会う場合はどうなるのか?

たとえば明日、私が織田信成とメシに行くとして (^o^)/、先祖である織田信長のことはどう呼べばいいのか? なんとなく「信長」と呼び捨てにしてしまいそうだが、それは子孫の前では失礼か? 「信長さん」と言うべきか? それとも「織田さん」か? しかし「織田さん」だと、信長と信成どちらのことか分からないか?

というか、まず信成のことを私はなんと呼べばいいのか? 「信成さん」か? 向こうのほうが年下だから「信成くん」か? 初対面でこれは馴れなれしいか? 「信成さんは信長さんの御子孫なんですよね」がベストか?

常識がグラグラしてきた。もうだめだ。

あきらかに、自分を支配する無自覚な法則がある。しかし言語化するのは厄介だ。たとえば人工知能に「どのような条件でさん付けすればいいか」は教えられるのか。これは非常に難しいのではないか。

というか、「人工知能さん」か? 人工知能に知性があるならば、さん付けは必要か? 現在これはアホらしい冗談にしかならないだろうが、十年後、二十年後はどうか? 人間と同等の知性を持ったとき、私は人工知能にさん付けするのか?

そろそろ私の思考はドン詰まりにきてないか?

人は、太陽をさん付けすることがある。「おひさん」というふうに。もっと丁寧に「おひさま」とも呼ぶこともある。しかし「太陽」と呼び捨てることも多い。これはどういうことなのか? 明日、私が銀河系のどこかで太陽とメシを食う場合 (@□@)、なんと呼べばいいのか? あるいは月の場合はどうか? これも「お月さん」や「お月さま」と呼ぶが、「月」とも言う。もしも月と太陽と私の三人でメシを食うことになった場合 (*T▽T*)、呼称の問題だけで胃がブッ壊れそうだ。

そろそろ終わりにしよう。

日本語には、「敬語」という形で自然に上下関係が組み込まれていると読んだことがある。だから私は悩んでいるのだろう。要するに、上下関係なんてものを認識するから問題が起きる。社会に組み込まれた自分、関係の網の目のなかで上下する不安定な自分だから悪い。すなわち、

私が世界の誰よりも偉く (^_^)v

この宇宙における唯一無二の存在であり σ(^_^;)

あらゆる存在をその支配下に置いた場合 (*^◯^*)

さん付けの問題は起こらない。あらゆる人間、あらゆるグループ、あらゆる企業を私は呼び捨てにする。太陽と月も呼び捨てにする。私は神であり、他のすべては被造物だからである。

結論が出ました。

私は神だそうです。ぜんぜん知りませんでした(○゚ε^○)v

飼いネコが増えるにつれて変化したこと

ネコのはなし おすすめ記事

数年前は1匹だったネコが4匹まで増えている。

三十六歳女性があちこちで拾ってくるからである。さすがネコ狂いである。だいたい年に1匹のペースで増えている。そのたびに微妙な心理変化がある。なので今日は、「ネコが増えることで飼い主の心理はどのように変化していくか?」を書いてみたい。

まずは1匹である。

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ネコのいない生活から、ネコのいる生活へ。結局は、この変化が一番大きかった。端的に言えば、笑顔が大幅にふえた。日常におけるスマイルの激増である。ネコを飼っていない頃、三十六歳女性の寝顔は不動明王のようだった。眉間にしわがより、口元は厳しく引き締められていた。私も家に転がりこんだ身として責任を感じたものだ。

しかしネコの登場以降、寝顔はおどろくほど晴れやかになった。これはマジである。基本的にうっすら笑っている。たまに布団の横から実際にネコがチョコンと顔を出していることがあり、そんな時は熟睡しながら満面の笑みである。ネコの添い寝はこれほどまでに人間の精神状態を変えてしまうのか。

もっとも、これは私も同じで、自分のことだから寝顔は分からんが、明らかに生活における笑顔の割合は増加した。日に日に自分の表情が菩薩に近づいてゆくのが分かる。ネコきっかけで菩薩である。「春のこもれびかと思ったら私の後光でした」みたいな日も近い。

さて、2匹である。

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1匹だろうが2匹だろうが変わらないと思っていた。これは勘違いだった。ネコが2匹に増えたことで、「ネコとネコがイチャつくのを見る」という状況が勃発したからだ。この破壊力は多頭飼いをしてみないと分からないだろう。

1匹のネコが丸くなっているだけで破壊力はなかなかのものだが、2匹のネコがくっついて眠っている場合、破壊力は倍ではすまない。悶死である。悶えて死ぬのである。人が悶えて死ぬさまを見たことがあるか!

ネコとネコは交流する。ぬいぐるみのような手で他のネコの頭をポンポンたたくこともある。顔をなめてやることもある。なめられる側はキュッと目を閉じてしまう。尻のにおいをかぐこともある。かがれているほうは真顔である。2匹で追いかけっこをすることもある。遊び疲れれば一緒に寝る。そのいちいちに悶えて死ぬ。命がいくつあっても足りん。

そして3匹に増えた。

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2匹と何が変わったか?

相関図が生まれた。ネコたちのドラマを楽しむようになった。人間のドラマにおいても、男と女の二人じゃ面白いものにはならない。そんなもんは愛し合って終了である。しかし男と男と女、あるいは男と女と女となった時、突如ドラマはふくらみを見せる。

この家の場合、初音、影千代、セツシの3匹となったとき、「関係を愛でる」という発想が生まれた。「カップリング」という発想である。私はネコが3匹になるまで、マンガ等のキャラのカップリングを楽しむという発想がいまいち理解できなかったんだが、ここにきてナルホドと思った。たしかに、ネコたちの関係性を見るだけで脳に快感が走る。「この2匹の関係が好き」という発想も出てくる。

初音と影千代、影千代とセツシ、セツシと初音、それぞれの関係を楽しむ。たとえば影千代とセツシの仲がよい。それだけで興奮する。いつも仲のいいネコを見れば脳に快感が走り、めずらしい組み合わせを見ても脳に快感が走る。とにかく快感が走るのだ。

そして現在である。4匹である。初音、影千代、セツシ、ミケシである。

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関係は全部で6通りとなった。カップリングのバリエーションはさらに増えた。さらに我々はここで、はじめてうまく馴染めないネコというものを知った。最初のうち、ミケシは他の3匹とうまく馴染めなかったのである。マジゲンカしたことも多々あった。

しかし徐々に、他のネコたちとの距離が縮まっていく。たまに近くで寝ていることがある。たとえばセツシとミケシが2匹で寝ている。何も知らない人から見れば「ネコとネコが寝ててカワイイ」だが、飼い主の自分には「あんなにいがみあっていたセツシとミケシが!」なのである。ドラマを読み取っているわけである。「第一話:大キライ」であり「第三話:衝突」であり「第六話:素直になりたい」であり「第九話:君の体温」である。一話から見てきてよかった!

以上、ネコが増えていったときの心理の変化を駆け足で振り返ってみた。さすがにこれ以降は1匹増えても別に変わらない気がしている。5匹だろうが6匹だろうが「たくさん」という認識に変わるのではないか。もちろん、こういう予想はかんたんに裏切られるものであるが。

ちなみに三十六歳女性は「もう増やさない」とうわごとのように繰り返している。1匹の時点から言っている。「増やさない、増やさない」と言いながら4匹まで増やした女である。自分の中にあるネコ拾い欲と戦っているんだろう。来るのか、5匹目。

「ネコのはなし」カテゴリの記事一覧

もうすぐ潰れるブックオフで買うと無神経に見えるマンガ30選

日々と思考

ドカベン (1) (少年チャンピオン・コミックス)

以前、ブックオフに行ったら数日後に閉店するタイミングだったことがある。

店内に、閉店を告げるナレーションがえんえん流れていた。やはりしんみりしたムードになる。店員の男がかぼそい声で接客してきた。しかし私は、『ドカベン』の文庫版を20冊まとめ買いしていた。1冊100円だったからである。

もうすぐ死を迎える店舗で、ドカベン20冊まとめ買い。こう書くと、自分が無神経な存在のように思えてくる。ドカベンという響きのせいだろうか、20冊まとめ買いのほうだろうか。それとも二つの合わせ技だろうか。とりあえず、もうすぐ潰れるブックオフで買うと無神経に見える漫画としてドカベンが上位にくるのは確かである。

ということで、本日はもうすぐ潰れるブックオフで買うと無神経に見えるマンガを考えてみたい。ひとつめはドカベンである。

 *

グラゼニ
ゼニとの戦いに負けたから閉店するのだ。

銭ゲバ
ゼニとの戦いに負けたから閉店するのだ。

ナニワ金融道
ゼニとの戦いに負けたから閉店するのだ。

君に届け
客に届かなかったから閉店するのだ。

トリコ
客をトリコにできなかったから閉店するのだ。

メジャー
マイナーな店舗だから閉店するのだ。

デスノート
ノートに書くまでもなく店は死んだのだ。

ブラックジャック
死んだ店は二度と生き返らないのだ。

ハイスコアガール
店の経営はロースコアだったのだ。

鋼の錬金術師
経営に錬金術などなかったのだ。

おそ松くん
あまりにもお粗末な経営だったのだ。

銀の匙
だから経営者も匙を投げたのだ。

会長島耕作
職を失なった店員たちへのあてつけなのか。

今日から俺は!!
無職になったとでも言いたいのか。

Happy!
どう考えても不幸だろうが。

WORST
言ってやるなよ。

クローズ
閉店を揶揄しているのか。

バクマン
いっそのこと店ごと爆破してしまえというのか。

テニスの王子様
店の跡地でテニスでもやれというのか。

キャプテン翼
サッカーもやれというのか。

スラムダンク
バスケまでやれというのか。

ピンポン
もう跡地でスポーツをさせようとするな。

シュート!
打たせようとするな。

ホイッスル!
吹かせようとするな。

エースをねらえ!
ねらうつもりはない。

ルーキーズ
スポーツ以外で跡地を活用しろ。

黒子のバスケ
スポーツ以外で。

アイシールド21
たのむからスポーツ以外で!

キングダム
いきなり王国を建てるのはやめろ。

キングダム
たしかにスポーツ以外と言ったが、

キングダム
跡地に王国を建造するのはマジで無神経だからやめろ。

 *

以上の作品を、「もうすぐ潰れるブックオフで買うと無神経に見えるマンガ30選」としておきたい。たいていのマンガは解釈次第で無神経になるようである。もうすぐ潰れるブックオフでの買い物は非常にむずかしい。

もっとも、私個人としては、店の跡地にいきなり王国を建てるのがいちばん無神経だと感じた。よって、この30作品の中でも、いちばん無神経に見えるマンガは『キングダム』だとしておきたい。みなさんも、潰れた店の跡地に王国を建造するのはやめましょう。

 

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

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自分のアイコンに自分でムカつきはじめた

居候生活

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このアイコンを長いことを使ってきた。

ブログのプロフィール画像に使っている。ツイッターやフェイスブックでも使っている。寄稿記事でもアイコンをくれと言われれば差し出している。普段から読んでくれている人は見覚えがあると思う。大昔にブログ開設と同時に作ったものだ。真顔日記だから真顔のアイコンにした。単純なものである。

しかし現在、妙な問題が生じている。この顔にムカつきはじめたのである。初見じゃムカつく顔ではない気がするが(たぶん)、何年も無表情のこいつと顔を付き合わせていると、ムカムカしてきた。おまえはなんなんだという気持ち、おまえは何を考えているんだという気持ち。自分のアイコンなのに心が読めない。

これは三十六歳女性に作ってもらったものだ。

「あいつムカついてきたんだけど」と言ってみた。

「あたしもけっこうムカついてる」と返ってきた。

「ずっと見てると腹立ってくるよね、あれ」

「やっぱ無表情だからじゃない?」と女性は続けた。同じ意見のようだった。もしかして人は、無表情の顔を何年も継続的に見ることに耐えられないのか。少しはやわらかい要素がないと、微量の毒が徐々に身体に蓄積するように、ゆっくりとムカつきはじめるのか。それはアイコンとしてどうなのか!

ということで、アイコンの表情を作り直してもらうことにした。五年以上前に作ったものなのに、元データをしっかり残してくれていた(きちょうめんな女)。三十六歳女性がパソコンで細部をいじくり、私は横でアレコレ口出しした。笑ってないのがまずいんじゃないか、一重なのが冷たい印象を与えるんじゃないか、鼻が太すぎるんじゃないか、などなど。

結果、目を二重にし、くちびるを薄くし、軽くほほえませてみることにした。

完成したのがこれである。

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これはこれでムカついた。

むしろ、じわじわムカつく顔から、瞬時にムカつく顔になった気がする。

三十六歳女性は「こいつ絶対女グセ悪い」と言った。たしかに、と思った。「いけすかない」という表現がピッタリくる。後輩に手を出しまくるサークルの先輩という感じ。何度かヤッて平気で捨てる。顔はいいが中身はカラッポ。だから同学年は相手にしないが、新入生はだまされる。口だけ達者のクズ。それがこいつだ。まあ、アイコンの性格を決めつけてボロクソに言うほど不毛なこともないですが。

「もうわかんないし、勝手に選んで」

三十六歳女性は投げた。

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二つ並ぶと、真顔のほうがいいかもと思った。

チャラい奴と比べれば、真顔のこいつは愛想はないが、一度付き合った女は大事にしそうだ。何を考えているのか分からないところが不満ではあるし、友達に自慢できるような派手さはないけれど、年に一度くらい、二人でいる時にふと、この人と付き合っていてよかったと思えて、そのまましばらく手をつないでいたくなるような、そんな人だと思う。

なんだか、別の男と浮気したことで今の恋人のよさを再確認みたいな話になってるが、今後もこのアイコンで継続することに決めた。ムカついてる人いたらすみません。この人いい人なんです、二重のあいつよりは。